巨大銀行の歯車を狂わせ混乱を招いた
首脳9人総退陣という“政変”

 みずほでかつて、首脳9人総退陣という“政変”があった。みずほホールディングス(HD)にぶら下がっていた日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行の旧3行が統合する直前の2001年11月末のことだ。

 この人事こそが、みずほという巨大銀行の歯車を狂わせ、今日に至る混乱の歴史の幕を開けたといっても過言ではない。さらにいえば、今、国民的な関心事となっているみずほ銀行による暴力団への融資問題の遠因になったともいえる。今、その内幕を初めて明かす──。

 当時、みずほは不良債権処理の上積みと株価下落のダブルパンチで危機にひんしていた。そこで、経営刷新による再起を狙ったみずほHDの西村正雄氏(興銀頭取、当時。以下同)、山本惠朗氏(富士頭取)、杉田力之氏(一勧頭取)の3CEOは、自らを含む取締役9人の一斉退陣を発表した。

 ところが、その9人には、池田輝三郎副社長(旧興銀)、小倉利之副社長(旧富士)、そして杉田CEOと共に3行統合をまとめあげた西之原敏州副社長(旧一勧)ら、次のトップと目されていた本命候補全員が含まれていたため、みずほは一転、大混乱に陥る。

 一斉退陣劇を幹部として目撃したみずほOBは、本命候補が巻き添えになった背景をこう振り返る。

「統合準備の過程で、西村頭取や山本頭取は、一勧の西之原さんの実力をまざまざと見せつけられた。彼を残すと、その後のみずほは一勧に牛耳られる、そう恐れた」

 そこで自らの退任に合わせ、各行の本命とされた後継候補を含む全取締役の退任という詰め腹を切らせる形で、西之原氏の後継の芽を摘んだというわけだ。その際、3CEOが敬遠していたり、その能力に嫉妬していた副社長も退任させられたといわれる。