市場調査のため、中国のある大手貿易会社のZ副社長を案内してタイに飛んだ。ついでにハイアールのタイ現地法人を率いる呉勇社長に会わせた。呉社長は、ずっと黒字を実現できなかった旧三洋電機のタイ工場を買収してわずか数年の時間で念願の黒字を実現し、一躍、中国国内はもちろん日本でも注目される人物となった。今年34歳というのを聞いたZ社長はその若さに大いに感心した(詳しくは本コラム第129回「旧三洋電機・冷蔵庫工場を蘇らせたハイアールの若き経営者の汗と決断」参照)。

 実は当年、中国最大のパソコン会社・レノボ(中国語の社名は「聯想」)の総裁である楊元慶氏もこれぐらいの年齢でレノボの社長に登りつめたのだ。中国のビジネス現場ではこうした例は本当に枚挙に暇がない。最近、私が読んだある記事もそんなことを取り上げている。ここに紹介して、読者の皆さんとその情報を共有したいと思う。

一販売員から社長の右腕に

 広東省の経済特区のひとつである珠海には、「巨人集団」という会社がある。創立者が史玉柱という人で、食品業界で「中国のIBM」を作ると宣言したほど、当時話題を集めた人物であった。

 1995年、南京大学を卒業した当時20歳だった若い女性が、躊躇せずに最初の就職先として巨人集団を選んだ。その女性の名は程晨。

 程さんが巨人に入社した1995年は、史さんが最も輝いていた時期であった。売上が10億元を超え、自社ビル建設も着工し、DHAがヒットした後に新たに開発した12種類の健康食品を市場に投入し、史さんも雑誌「フォーブス」の中国富豪ランキングで8位に入った。

 この巨人に入社できた程さんもやる気満々だった。彼女は一番下の販売員からスタートし、3ヵ月後には正規社員へ、半年後には業務主管にまで昇格した。性格が外交的で、向上心に燃えた程さんは勤務時間の8時間以外でも顧客とコミュニケーションをとり、どのエリアでもどんな客相手でも業績を上げた。