「事務局が(委員の手足となって)作業することは極めて当たり前。私はそこに違和感を持たない世界にいるのかもしれない」

 要綱違反を指摘された首藤所長がそう“当たり前”を主張したのに対し、大川小の検証委を「指導・監視」する立場の文科省と宮城県教育委員会も、こう従った。

「事務局が委員会として行動することは一般的にあるので、特におかしいと考えていない」(大槻達也・文科省子供安全対策支援室長)

「教育長の私は教育委員も兼務しているが、教育委員会の事務局である教育長の私が議会に報告をする」(高橋仁・宮城県教育長)

 だが、どちらも大川小の要綱の条文に書いていないことを同事務局が行える理由の説明にはなっていない。少なくとも遺族は、規則に照らし合わせて事務局の逸脱行為を指摘しているのだ。

 それどころか、国や県がこうした逸脱行為を10ヵ月以上にわたって指導・監視しないまま放置していたことは、本来ならば責任を問われることだ。

 問題は、事務局によって実際に逸脱行為が度々行われているにもかかわらず、遺族から指摘を受けても、関係者が事務局の所掌をいくらでも独自解釈して規則を形骸化させていることだ。

 なお、高橋県教育長が、事務局を担う教育長の立場から同様であると認識を示したのには、大きな疑問を感じる。大川小の検証委事務局の首藤所長は委員を兼務していないので、何の例えにもならないからだ。

「今の要綱がある以上、委員の手が回らないのなら、委員会で協議して新たに委員を追加してでも、いわゆる“委員”と名のつく人が作業をやらなければいけない。それは大原則。また、事務局がたとえ委員会の“手足”になるとしても、この要綱上でやっていいこと・いけないことがあるはず。結局、委員会、事務局、どちらが本当の意味でこの調査・検証作業の主体なのか?」

 前出の住友氏は、検証委がいま、検証主体者としての姿勢を遺族から問われていると話す。

 筆者が首藤所長に確認したところによれば、事務局だけが聴き取り調査した例は、保護者・地域住民に対して4回あったという。

 証言収集は、検証の中でも繊細な対応が必要とされ、信頼性の確保が特に必要な作業だ。専門性を担保されていない事務局員が行ったり、質問者として積極的に参画したりすることは、この検証委員会の信頼性や一貫性を損なう行為だ。