新潟県妙高市と東海村が災害援助協定を結んだときに、東海村といろいろなデータを比べてみた。そうしたら、妙高市の人口は東海村よりも少し少ないけど、工業製品出荷額は東海村の5倍なんだよ。原発立地自治体は工業製品出荷額が少ない傾向があって、福井県敦賀市と隣の越前市を比較すると、越前市は敦賀市の約3~4倍ある。多様な産業が育っていれば、栄枯盛衰はもちろんあるんだけど、持続性が高まる。

 私は原発のことを疫病神だって言っているんだよ。一度受け入れると、いずれ悪魔に魂を売ったって思うようになる。一度、オイシイものにぶら下がってしまったら、もう何もしなくなる。簡単にメシを食える方法を覚えてしまったら、もう何もやらない。

――そうすると、東海村にも未来はないということなのでしょうか。今後、どうなっていくんでしょうか。

 東海村は大丈夫だよ。東海村は水戸市、日立市、ひたちなか市に近い。それに、東海村は実際は原発というよりも、JAEA(日本原子力研究開発機構)がある。それに常陸那珂火力発電所もある。こうしたものが村を支えている。原発だけじゃないよ。

 まあ、東海第二原発は廃炉にしたほうがいいよ。そのほうが、雇用は増えるんじゃないかな。

原子力は東海村の文化
カネじゃなくて人だよ

――「脱原発」の想いを強くして、積極的に発言するようになったのは、どのような経緯があったのでしょうか。

 私がはっきりと言っていかないといけないって思ったのは、福島第一原発の事故後、ろくに事故の原因究明ができていないにもかかわらず、すぐに再稼働へ動き始めたからです。本当にこの国はダメだと思いましたよ。きっかけは2011年6月18日の当時の海江田経済産業大臣の、原発の再稼働についての声明ですね。

――2005年、2009年の村長選挙の際、原発に依存しない村を訴えていましたが、その当時から疑問に思っていたんでしょうか。

 昔から疑問には思っていました。でもはっきりと「脱原発」って言うところまではいかなかった。東海原発の3号機、4号機の新設の話も出てきたけども、私はあの時点で原発に依存していると村の未来はないなと思っていました。原発それ自体に、将来がないなと。

 選挙のときは、相手の候補者の方は言っていましたね、私が反原発だって。原子力界や日立製作所労組、自民党県連、総出で原発推進派の相手の候補を応援していましたよ。でも私は勝ったんです。