ソチオリンピック前までの今季の成績は13戦10勝。それらの試合すべてで3位以内と好調をキープしていた女子スキージャンプの高梨沙羅選手。メダル獲得、それも金メダルの期待が高かったものの、結果は4位と惜しいところでメダルを逃した。チームのコーチである山田いずみ氏は、自身も過去に選手であり、女子スキージャンプ界を切り開いてきたパイオニア的存在だ。高梨選手も絶大な信頼を寄せている彼女に、ロシア・ソチからの帰国直後に話を聞いた。(取材・文/フリーライター 中尾美香)

オリンピックという大舞台で、
初めての挫折

やまだ・いずみ
1978年8月28日生まれ、北海道札幌市出身。現役時代は女子スキージャンプのパイオニアとして国内では敵なし「女王」と呼ばれ活躍。 世界大会でも2008年8月に行われたコンチネンタルカップで日本女子初の優勝を飾るなど、まさにパイオニアとして女子スキージャンプ界を引っ張ってきた存在。2009年に惜しまれつつも引退を決意し、現在は全日本ナショナルチームのコーチとして後輩の育成、指導にあたるほか、競技をより多くの方に知ってもらうため、女子スキージャンプ紹介のフリーペーパー「美翔女(びしょうじょ)」の発行や、テレビ解説、講演会など幅広く活動を行う。

――女子スキージャンプが正式種目として採用された初のオリンピック。この競技をパイオニアとして牽引してきた山田さんご自身は、どんな思いで臨まれましたか?

 オリンピックのあの場所に立てたときは、「本当にここまで来たんだと」感動しました。そして、この舞台に自分がスタッフとして関われたことを、とても幸せに感じました。「いつかオリンピックの正式種目に!」と願いながら辞めていった選手たちの思い、今まで支えていただいた大勢の方たちのお力のおかげだと感謝しています。

 ただ大会を終えた今は、素直に言うと悔しい気持ちでいっぱいです。高梨沙羅、伊藤有希、山田優梨菜の3選手とも力を出し切れず、彼女たち自身にも悔しい気持ちでオリンピックを終えさせてしまったので…。コーチとして、彼女たちにもっと何かできたのではないかという思いはぬぐえないですね。

――高梨選手は、オリンピック前までは今季13戦10勝。すべて3位以内と好調をキープしていました。やはりオリンピックは、他の大会と違っていたのでしょうか?

 観客やメディアが多いという違いはありましたが、現場の雰囲気自体は、そんなに変わりませんでした。しかし、試合までの騒がれ方は、他とは全く違いましたね。選手にとっても、かなりのプレッシャーになったとは思います。

 ただ、それはある意味当然のこと。「メダルを獲りにいく」ということは、こういう状況に直面するものですから。プレッシャーは宿命ととらえるべきでしょう。

 また4年後にオリンピックに参加するチャンスが訪れたら、きっと同じような状況になるはずです。そこは選手も、私たちスタッフも含めて、みんなで乗り越えなければいけない課題だと思っています。