弁護士のハーブ・ケレハーが、紙ナプキンの裏に、過剰サービスを削ぎ落とした低料金の航空会社をつくるというビジネスプランを走り書きしたのは、1966年のことだった。実際にサウスウエスト航空の旅客機が乗客を乗せて初めて滑走路に姿を見せたのは、その5年後だった。
ケレハーは経営のルールブックをずたずたにし、少しばかり常識はずれな改訂版を書き続けた。
利用客にとっては、客室乗務員の歌声、茶目っ気たっぷりのいたずら、ギョッとするような格好を楽しめるため、サウスウエストのチケットはこうした客室内の娯楽だけでも料金に見合う価値があった。空港での迅速な機材交換、信頼性の高さ、便利のよさ、そして料金の安さはいうまでもないことだ。
それにしても、ハーレーのオートバイに乗り、バーボンを飲み、エルビス・プレスリーのような服装をして競争相手の航空会社のエグゼクティブと腕相撲をするCEOは、いったいどんなマネジメントを行っているのだろう。
まったくゼロの状態から、ケレハーは年間売上高50億ドル、25年以上黒字という記録を持つ企業を生み出した。利益は急増、乗客数は伸び続け、しかもスタッフの離職率は低下している。これらから判断すれば、それほどクレージーなマネジメントではなさそうだ。
生い立ち
1932年3月12日、ニュージャージー州に生まれたハーブ・ケレハーは、目立つ学生だった。コネティカット州のウェスリアン大学時代には、スポーツと学業の両方ともに優秀な、恵まれた学生の1人に数えられていた。大学にはすばらしい足跡を数多く残している。ウェスリアン大学を卒業後、ケレハーはニューヨーク大学に進み、法律を勉強して1956年に卒業した。
ロースクールを出ると、ケレハーはニュージャージー州最高裁判所の事務官として勤務し、その後テキサス州サンアントニオで法律事務所を開いた。1960年のことだ。そののち6年間弁護士としての経験を積んだところで、1966年、あるクライアントとの会話がきっかけで、まったく新しい世界に踏み出すことになる。
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