韓国客船の転覆事故。船長が乗客を放り出して真っ先に逃げ出すという、前代未聞の行動に大きな批判が集まっているが、この件には個人的にも衝撃を受けている。というのも、僕の父親が船乗りだったからだ。父は戦前、海軍に所属して軍艦に乗っていた。そして戦後は海上保安庁に勤務。退官するまで船長としてずっと船に乗っていたのだ。

父の後ろ姿を見て感じていた
船乗りの「職業倫理」

 だから、わが家では日常の家族の会話のなかでも自然と、船乗りの矜持に関する話題が話されていた。「戦艦や空母の船長というものは、船が撃沈されたときは、船と運命を共にするものだ」というような話が、それこそ空気のように語られていた。さすがに海上保安庁では、沈没する保安船とともに船長も殉じるというわけではなかったが、それでも職務上、命をかけることは当たりまえのことである。

 戦前生まれの男性らしく、僕の父親も無口なほうだったので、そのようなことを夕食のときなどに声高に語っていたわけではない。しかし、台風が来る度に、当たりまえのように船に乗りに行く父親の背中をみていれば、幼い子どもでも海上保安官の「職業倫理」とはどのようなものか、理解はできるものである。

 僕が幼い頃の日本は、室戸台風や伊勢湾台風の甚大な被害の記憶がまだ生々しく残っていたし、台風が来る度に家々は雨戸に板を打ち付けたり、バケツや風呂に水を貯めたりして、台風上陸に対する備えに町中が慌ただしかった。当然、漁船などの民間の船は港に避難してくる。そのような空気感のなかで、自分の父親は当たりまえの顔をして船に乗りに行く。そして、遭難船が出れば、嵐の海のなかを突っ込んで行く。

 当時、幼稚園児だった僕も、台風が接近してくる度に船に向かう父親の後ろ姿を見ながら、「これでもう、父親が死んでしまってもしょうがない。そういう仕事なのだ」と感じていた。これは海上保安庁の人間だけでなく、自衛隊や警察、消防署など常に殉職の危険をともなう仕事をしている人間の家族なら、誰もが共通して持つ感覚ではないかと思う。

 もちろん、家族が殉職してうれしい人間などいない。当然だが僕だって、できれば嵐の海に出港するような船に父親が乗るようなことはやめてほしかった。しかし、だからと言って、父親に対して「行かないでくれ」と乞うようなことはできなかった。父親の気持ちを怯ませるような言動はすべきではない。幼い子どもでもそれくらいのことは理解していた。つまり、本人だけでなく、家族もまた覚悟を決めているのだ。