実質的には国民の資産と国債残高を相殺
デフォルトを回避した施策のからくり

 第二次世界大戦当時のわが国は、戦費調達などで財政状況が悪化し、1944年度末において国の債務残高が国内所得の260%を超える水準に達していた。それに加えて、戦時の補償債務や賠償問題によって国の債務がさらに拡大する一方、戦後の物資不足などの影響もあり激しく物価が上昇した。

 そうした事態を収拾するために、1946年3月、当時の政府は人々の現金保有を制限すべく預金封鎖を発令した。また旧紙幣の流通を差し止めて強制的に銀行に預金させ、それを新円とを交換する措置を取った。

 それと同時に、一世帯当たりの月の預金引き出し額を制限した。そうした措置によって、政府は家計が持っていた現金をすべて吐き出させ、インフレを鎮静化することを目指したのである。

 その次に実施したのが、財産税の導入だ。国民が保有している不動産や動産、現預金などに対して25%から最高で90%までの高い税率を課し、徴税した税金を使って国債を償還する手法が取られた。つまり、実質的には国民の資産と国債残高を相殺する格好にした。

 それによって、形式的には国債はデフォルト(債務不履行)に陥らなかった。国が国民の資産を奪ったのではなく、理屈の上では徴税権を行使したことになる。また、その後の民間金融機関の再建などのために、預金封鎖による原資が使われることになった。

 こうした一連の措置を見ると、当時は国の債務を帳消しにするために、国民の資産、特に預金が充当されたことがよくわかる。それを考えると、冒頭の男性が抱く不安があながち荒唐無稽なものでないことが納得できるだろう。