旅の決裂・リストとの面会とレメーニとの別れ
~ワイマール

 1853年6月15日、二人はワイマールにやって来ました。しかし、この地でも首尾上々とはなりませんでした。

 リストとの面会の際、ブラームスはひどく緊張していました。なぜなら、この時のリストは42歳、既にピアニストとしてのキャリアを終え、作曲家兼指揮者として新しい音楽の創造に乗り出している真の大御所でした。そんなリストが、ブラームスの持参した音楽に興味を示し、演奏するよう言うのです。

【ブラームス<br />「ピアノ・ソナタ第1番ハ長調 作品1」】<br />若き日の旅が、人生の真実を見出す

 それは無名の作曲家にとっては千載一隅のチャンスであったにもかかわらず、内気なブラームスは「こんなに緊張していては弾けません」と断ってしまいます。しかしリストはそれに腹を立てることなく鷹揚に、「じゃあ僕が弾こう」と、初見で「スケルツォ変ホ短調」(写真はウィルヘルム・ケンプ盤)を演奏します。 

 そして結局、リストとの面会は何も生まないどころか、ブラームスの態度に業を煮やしたレメーニから、ピアノ伴奏をクビにされてしまいました。20歳になったばかりの青年ブラームスですが、旅の途中で放り出されていかに身を処すのでしょうか?

ヨアヒムとの再会

 実は、あのヨーゼフ・ヨアヒムが救いの手を差し伸べるのです。

 1853年の夏、ブラームスはヨアヒムに手紙を送ります。一方、ヨアヒムは宮廷楽団の休暇中に、ゲッティンゲン大学で哲学と歴史の授業を聴講していました。そこにブラームスを呼び寄せ、2ヵ月をともに過ごしたのです。この2ヵ月間は、充実した教育を受けられる環境になかった20歳のブラームスにとって、世界を学ぶ貴重な機会となりました。そしてまた、ブラームスは音楽的経験で遥か先を行くヨアヒムから、多くを吸収したのです。

旅と邂逅

 19歳で旅に出たブラームスは、その途上で20歳を迎えますが、依然として無名で貧しいままでした。何一つ思い通りにならず悩み多き日々が続きます。

 それでも、ヨーゼフ・ヨアヒムとの出会いは、全ての苦難を補ってあまりある素晴らしい邂逅で、生涯を通して友情が育まれていきます(後年、ヨアヒムはピアノ協奏曲第1番の初演でハノーヴァー宮廷楽団を指揮。ヴァイオリン協奏曲はヴィオリン独奏パートの技術的な助言も行い初演の独奏者も務めています)。

 このヨアヒムとの出会いこそ、ブラームスの旅の前半のハイライトです。

 そして、20歳のブラームスの音楽武者修行の旅にはまだ先があります。旅の後半にもまた思いもかけぬ出会いが待っています。(7月24日公開予定の次回に続く)

(音楽愛好家・小栗勘太郎)