去る6月、政府はアベノミクス第3の矢である「成長戦略」の目玉の一つとして、農業分野の規制改革を決定した。本稿では2回にわたり、規制改革の狙いとその行方について論じる。まず、日本農業が衰退してきた理由とアベノミクスの現状から改革の真意を考えよう。

農業衰退の原因は国内にあり

 我が国農業は衰退している。農業総産出額は1984年の11兆7000億円から2011 年には8.2兆円に減少した。特に、米の減少が著しく、この減少額のほとんどは米の減少分である。農業総産出額に占める米の割合は、1960年ころはまだ5割だったのに、2010年には、とうとう20%を切ってしまった。

 高い関税で国内市場を外国産農産物から守ってきたにもかかわらず、農業が衰退するということは、その原因が海外ではなく国内にあるということを意味している。しかも、最も保護されてきた米が最も衰退している。

 米でも、農地を大規模に集積しコストを引き下げたり、付加価値を向上させたりすることで、高い収益を上げている農家もある。20ha以上の米農家の農業所得は1400万円を超えている。しかし、野菜、酪農などでは、農業で生計を立てている主業農家の販売シェアは8割を超えているのに、米は4割にも満たない。米だけ兼業農家が多く滞留している。

 これは、食管制度の下での米価引き上げと減反政策による高米価政策によって、コストの高い零細規模の兼業農家が多数滞留したため、主業農家への農地集積による規模拡大が阻害されたこと、減反政策が単位面積あたりの収量(単収)の向上を阻害したことなどの政策の失敗によるものである。米農業がポテンシャルを発揮することを、政策が妨げてきた。そればかりか、減反で食料安全保障や多面的機能に不可欠な農地資源が破壊された。

 しかも、このような農政を推進させたのが、戦後政治上最大の圧力団体である農協である。農地解放によって、小作人は小地主となり、保守化した。保守化した農家、農村を組織したのが、農協である。戦前の地主制にとってかわった農協制は長期保守政権を支え、農村に君臨した。

 戦後の食糧難の下で米を農家から政府へ集荷するため、金融から農産物集荷まで農業・農村の全ての事業を行っていた戦前の統制団体を、衣替えして作ったのが農協である。このため、日本のいかなる法人にも許されない銀行事業の兼務が認められ、また、農家の職能団体であるはずなのに、地域の住民ならだれでも組合員になって農協の事業を利用できるという“准組合員”という特殊な制度が認められた。しかも、その後、生保事業も損保事業も追加された。

 農協は、指輪の販売から葬祭事業まで、やってないのはパチンコと風俗業だけだと言われるくらい、日本で唯一の万能の法人組織となった。しかも、肥料販売の8割を占めるなど独占的な巨大事業体なのに、協同組合であることを理由に、独占禁止法の適用を除外されている。