初めて新幹線の車両技術を導入した
「台湾新幹線」は失敗案件だった?

「台湾新幹線は儲かりましたよね(笑)」と尋ねると、「とんでもない。もう二度とやりたくない!」とその方の表情は曇った。

 日本が新幹線の車両技術を輸出・現地導入した初めての事例となり、2007年に開業した台湾新幹線(台湾高速鉄道)は、成功談として語られることが多い。

 確かに、「フルパッケージ型」と「高速鉄道」という、今後の鉄道業界のキーワードが2つも盛り込まれた話題性のある案件だった。しかも、ビッグ3の一角であるシーメンスを中心とした欧州企業連合への発注がほぼ決定していた最中に、ドイツの高速鉄道ICEが事故に見舞われ、台湾大地震の発生によって地震に強い日本製車両への待望論も加わった。土壇場で事態がひっくり返るという劇的さも手伝い、「日本の新幹線、海を渡る」とメディアでも大々的に報道された。

 しかし、舞台裏では歯切れの悪い会話が続く。

「なんせ、仕様が決まらなかった。迷走ですよ、迷走。日本側は、台湾政府に仕様を決めてもらうとしていたが、台湾側は高速鉄道なんか初めてだから決められない。全体取りまとめ役の商社は、人脈はあるが技術を知らない」

「では、どうすればよかったんですか?」

「JRさんが運行支援だけでなく、全体の設計段階から関与していればこんなことにならなかった。鉄道を知っているのは、日本では運行会社なんですよ」

 最終段階で発注先が変更になったことに対して、欧州連合は台湾政府に違約金を申し出た。欧州のコンサル企業が作成した仕様書のまま、日本連合の受注となった。自動改札機はフランス製など、チグハグなシステムとなった。

 また、運用にJR東海が支援をする予定であったが、日欧混在管理システムに不安を感じ、指導に責任が持てないと苦言を呈し、結果、フランス高速鉄道の運転士が送り込まれるなど、バタバタの船出となった。運行後も何かと問題が発生し、一部の商社をはじめ、日本の関係者は追加コストの支出に悩まされ続けた。

 フルパッケージ型への移行は時代の趨勢だが、日本勢の経験不足は否めない。そして、リスクも大きい。しかし筆者は、この分野でも日本の鉄道業界が世界をリードする日が来るだろうと感じている。連載第15回に引き続き、今回はビッグ3と日本の鉄道企業の差を、ハード面ではなくソフト面からアプローチしながら、日本の鉄道業界の可能性を追ってみよう。