1980年代のことだった。当時、私は上海外国語大学で教鞭をとっていた。同僚には日本人教師Y氏がいた。ある日、上海を訪れてきたY氏の友人である日本人が保冷パックに入れたお寿司のお弁当を持ってきた。鮮度を維持するために、日本で飛行機に搭乗する直前に購入したものだそうだ。Y氏はそのお寿司を頬張りながら、涙をこぼした。大の男が泣いているのがやはり恥ずかしいと思ったのか、「お寿司に入っているワサビが効きすぎた」と、Y氏は照れていた。
その頃、お寿司の美味しさをまだ理解していなかった私でも、Y氏はけっしてワサビが原因で涙を流したのではなく、間違いなく故郷の味に、その故郷の味によって引き起こされた強烈な郷愁に泣いていたのだと分かった。
新橋駅近くの小さな上海料理店
異国の地に生活の基盤を作り、来年で来日30年を迎えるいま、日本をすっかり第二の故郷だと思っているが、それでも郷愁、故郷の味に強く惹かれる。Y氏の当時の心境をいまは私が常に体験している。1ヵ月前のいま頃、中秋の節句を迎えた。そのときも例年より強く郷愁と故郷の味を意識していた。なぜかというと、例年よりも故郷の味を口にする機会がかなり増えたからだ。
東京の新橋駅の近くに「味上海」という小さな上海料理店がある。ギュウギュウ詰めでも最大20名しか入れない小さな店だが、伝統的な上海料理の味で人気を集めている。その味上海から、中秋の節句の祝いとして常連客に「鮮肉月餅(豚肉餡月餅)」が配られた。日本では馴染みは薄いが、実はそれは上海の名物菓子だ。日本でそれを手にできた意外性とその味の美味しさに、常連客たちが一様に歓声を挙げた。夜、歯を磨いた後は絶対何も食べないという誓いを貫いてきた妻ですらも、できたての「鮮肉月餅」を持ってきたと聞いたら、抵抗なく1個を口に入れた。
中華料理研究家として日本で活躍している小薇さんも、料理教室のメニューにこの鮮肉月餅を登場させている。自宅の近くにある中華レストラン「百宴香」も鮮肉月餅のお土産を用意してくれた。私は前出のY氏のように涙を流してはいないが、鮮肉月餅の味に郷愁を噛みしめた。