日本はすでにキリギリス?
子どもの英会話教育で考えるべきこと
2011年度より、日本の小学5~6年生を対象に必修となった「外国語活動」だが、足もとでは、子どもたちにどのような変化が生まれただろうか。
「語学」学習ではなく「外国語活動」と銘打っているのがポイントで、「外国語に慣れ親しむために、言語や文化について体験的に理解を深めつつ、コミュニケーション能力の素地を養うことを目標」としているそうだ。
さらに、この外国語活動を現在の小5から小3に前倒しする方針を固め、東京オリンピック・パラリンピック開催年である2020年に対応できる形で、スケジューリングする必要があると、昨年末にコメントされたことも記憶に新しい。
ここにきて、ようやく緩やかに進みつつある日本のグローバル教育だが、「こんなゆったりペースの進行で、未来の日本と我が子は世界のグローバル化から取り残されやしないか?」と心配になるのが親心であろう。
皆さんの心配もごもっともだ。しかし、日本のグローバル教育はもう遅れているから、今さら焦っても仕方がない。
シンガポールのニュース番組では、日本人が英語を話しているのに英語の字幕が出るのをご存じだろうか。アジア各国の有識者討論会では、日本人以外の参加者は全て英語でコメントしている。日本はグローバル化に大きく遅れ、もはや危機的状況のように思えるが、この遅れを魔法のように取り戻す方法は、今のところない。
グローバル社会において、今の日本はイソップ寓話の『アリとキリギリス』に出てくるキリギリスだ。今はまだ物語の“秋”の時代なので、「英語はできると良いが、できなくても何とかなる」状態だが、子どもたちが社会人になったときには過酷な“冬”の時代がやってくるというのが、リーゼントマネジャーの未来予測だ。
日本人はもっとグローバル社会で何が起こっているかを注視する必要がある。でないと、か弱い“キリギリス”たちは将来グローバル度が数段レベルアップしたアジア諸国の“アリ”たちに勝てるはずもない。