「何かやりたい」その気持ちだけあればいい

 私も20代から30代にかけては、何かになりたくてうずうずしていました。
でも、それがいったい何なのか、さっぱりわからなかったのです。

「サンバディになりたい」とそれまで5年の有期契約で働いていたケニアの日系企業を離れて、日本に帰国したのが31歳の時でした。それから10ヵ月のあいだ実家で今でいう「プータロー」のような生活をしたのち、「これではいけない」と妻と娘を日本に残して、わずか15万円の軍資金と小さなタイプライターを抱えアフリカの地に戻ったのが、32歳の時。

 それからは、ケニアのシカ市の安宿で企画書を書き続ける日々をすごしました。タイプライターに向かい、思いつくままにビジネスプランを打ち込んでいったのです。

 最初に思いついたのは、リヤカーをつくること。東京・有楽町で出会ったお年寄りが引っ張っていたのを手伝ったことを思い出し、「あれなら、売れるかもしれない」と考えました。運送業を始めるのもいいかもしれないと思いました。豚を飼ってハムやソーセージをつくるのも楽しそうだ。父親みたいに鍛造(たんぞう)や鋳造をやるのもいいな。洋服屋もやってみたい。

 詳しいことはもう覚えていませんが、そんなふうに、数えきれないほど企画書を書いたものです。こうして書き連ねてみても、てんでんばらばらで全然一貫性がありません。

 どうですか?

 これだけを聞いても「私のほうが、もっとやれる」と感じるでしょう。

 最初はみんなそういうものです。

「やりたいのは、これだ」といいきれる人はいません。むしろ、「サンバディになれるなら、何でもいい」といったところでしょう。