しかし、自らの考え(意見)を持つということは案外難しい。特に調和を美徳とする日本社会では、個々人が意見を戦わせることを避けるため、先述したように口をつぐみ思考停止を招く。

 ビジネスの世界においては、思考停止すると、新しい方法や発想が生まれにくい。生まれたとしても、それを粘り強く商業化していくには、前例主義の人々に変革の必要性を訴え説得しなければならず、議論に慣れていない日本人はまず成功しない。多くの日本企業がブレークスルーを起こせない原因は、ここにある。

 他方、欧米の多国籍企業には議論を肯定する文化があるので、有能な人ほど、自分の意見をとことん主張する。紳士的なやり方もあるし、攻撃的なやり方もあるし、根回しというやり方もある。自分の人格をかけた主張を通すために、足を引っ張り合うこともあれば、結論が出ないこともある。しかし、少しずつ歩み寄りプランを修正したり、徹底的に相手を論破したりして、最終的には合意に達する。

 そのようなプロセスを経て到達した合意点(ある意味 妥協点)は、数多くの意見を検討して残ったものゆえに、無駄な要素が省かれ骨格が残りシンプルだ。合意されたあとは、それに向けて走り出すのであるが、状況が変われば再び意見の衝突が始まる。メンツにこだわるようなことはなく、原則さえ曲げなければ実利的なものがとことん追求される。

あえて「快適でない状況」に身を置く

 日本は今、暗いニューズが多く、閉塞的な空気が漂っている。いったい、その原因は何だろう。

 就職難といっても、ヨーロッパや韓国、中国よりはるかにましだし、医療制度はおそらく世界トップクラスだろう。格差にしても日本より悲惨な国は数多ある。にもかかわらず、他国より悲観主義が蔓延している。

 原因は、経済成長に対する悲観主義から来るのだろう。それゆえ、成長への処方箋はグローバル化であるという論調もある。しかし、1億人以上の人口がいるわけだから、グローバル化する会社もあれば、国内に目を向ける会社があってもいいではないか。

 成長にはさまざまな道筋がある。にもかかわらず、日本企業の多くが、日本企業に勤務する多くの方が、英語というツールにとらわれたグローバル化を志向している。もちろんそれらも重要だが、問題は中身である。思考停止の状態で、コミュニケーションする内容があるわけがない。

 思考停止をよしとせず、批判的精神を身に付け、個人が自分の意見を持ち、主張することに価値を見出せば、新しい方法や発想が生まれるはずだ。そのためには、個人がハウツー人生論に助けを求めたり、ゲームや娯楽にいたずらに時間を使ったりするのではなく、「快適でない状況」に身を置き、知らない場所に出かけ、人と話し、本を読み、問題意識を持ち、考えて考えて考え抜く、そういうことに時間を費やしてほしい。