ロンドンの日々

 遂に、チャスとジミはロンドンのヒースロー空港に降り立ちました。1966年9月24日のことです。 

 空港から直行したのは、チャスの友人宅。早速、ジャムセッションを始めます。

 チャスは改めて、ジミに相応しいベーシストとドラマーを見出す必要性を実感し、超高速で行動します。

 9月29日には、ベーシストとしてノエル・レディングを採用。

 10月2日には、ドラマーとしてミチ・ミッチェルを採用します。

 そしてバンド名はジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとします。ここで初めてジミー・ジェームスがジミ・ヘンドリックスになるのです。

 そして、チャスはこの新バンドの初舞台をフランスに決定します。フランスのプレスリーとして知られたジョニー・アリディーの演奏旅行に同道して、前座を務めるのが彼らのデビューでした。ボックス盤「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス~アンリリースト&レア・マスターズ」(写真左)には、1966年10月18日パリはオランピア劇場での“ヘイ・ジョー”等が収録されています。この曲こそ彼らのデビューシングル盤となるものです。結成からわずか2週間後でこの完成度。本当に恐るべしです。

 フランスから帰国後、10月23日には、早速“ヘイ・ジョー”の録音に取り掛かり、11月には完成します。チャスもジミも出来栄えに満足し、録音の原版を持ってレコード会社に売り込みをかけます。が、なかなか契約が取れません。デッカ・レコードにも持ち込みますが、断られてしまいます。実は、デッカこそビートルズをオーディションで落とした会社です(本コラム第1回)。ジミまでも断ったのは、この会社の保守的DNAなのでしょうか?

 そして結局、新興のトラック・レコードから発売することになります。

 もちろん、この段階では、全く無名の新人バンドなので、経済的にも相当行き詰っていました。チャスはジミの才能に確信を持っていましたが、売るためには、適切なパブリシティーを与えることが不可欠だと思いつき、ロンドンの主要音楽関係者を招いた大きなレセプションを企画します。が、先立つ資金がありません。チャスは6台持っていたギターとベースのうち、5台を売り払って何とかレセプションを実現します。11月25日のことです。

 この献身的なチャスの行為について、ジミは後年「本当に感謝している」と述べます。音楽への確信とジミへの信頼が成せる業でしょう。