そもそも、高橋是清が克服した井上デフレの不況の原因が、それまでの歳出規模を3分の1も削減するという井上前蔵相の無理な歳出削減策だったのである。

 6割もの円安は、井上が設定した旧平価からすると3分の1の水準であった。随分と大幅な円安になったものだと思われようが、大正12年(1923年)の関東大震災で受けていた損害からすればそれが実力相応のレートであった。同種の前例としては、第一次世界大戦で大損害を被ったフランスが旧平価の5分の1の水準で金本位制に復帰していたことがあった。大正12年(1923年)9月1日の正午前に関東地方を襲った大震災は、国民総生産の3分の1にも及ぶ被害をもたらしたものだったのである。

 そのように言うと、井上の旧平価での金本位制復帰はとんでもないことだったということになるが、当時の多数説は日本経済を立て直すためには無理な旧平価でも、まずは金本位制に復帰することが重要としていた。当時、金本位制は先進国にとってマクロ経済運営の良好さを示す認定証(Seal of Good Housekeeping)とみなされており、第一次世界大戦で金本位制から離脱した国々は次々と金本位制に復帰し、昭和3年(1928年)にフランスが復帰すると、日本だけが取り残される形になっていた。

強力な緊縮財政策で公債発行を減らし
金利低下で景気回復をもたらす必要性

 そこで、日本も早晩金本位制に復帰(金解禁)するとの思惑から円投機が行われ、円レートが変動して輸出入業者の採算が不安定になり、貿易振興に支障をきたしていたのである。

 そこで、とにかく早期に金本位制に復帰することが、貿易振興からの経済立て直しにつながると考えられていた。それにしても、過激な緊縮財政によって、わざわざデフレにしてまで旧平価での金解禁をすることはなかったというのが、今日の感覚であろう。

 しかしながら、当時は、関東大震災後に悪化した財政を賄うために発行された公債が金利の上昇をもたらし、それが経済成長を阻害している。したがって、強力な緊縮財政策を断行して公債発行を減らし、それによる金利低下で景気回復をもたらすことが必要。緊縮財政によるデフレは一時的には困難をもたらそうが、それを乗り越えていくところに経済成長があるというのが、財界一般の考え方でもあった。

 デフレの恐ろしさが認識されていなかったのである。そして、そのような考え方に沿った政策を強力に打ち出したのが、井上準之助であった。