一過性のブームに
終わらせないために
──岸見先生とアドラー心理学の出会いは、どういうものだったのでしょうか。
岸見 わたしはずっと哲学を専門としていましたから、心理学全般にそれほど高い関心を持っていませんでした。心理学は哲学の一分野に過ぎない、という思いがありましたので。でも、結婚して子どもができたとき、たまたまアドラーの『子どもの教育』という本を手に取りました。
古賀 アドラー心理学は、教育や子育てもメインテーマのひとつとしていますからね。
岸見 そしてアドラーの孫弟子にあたる、アリゾナ大学のオスカー・クリステンセンという方の講演会に誘われ、参加してみたところ、大きな衝撃を受けました。1989年のことですね。
──どんな講演だったのでしょう?
岸見 特に印象深かったのは、かつてクリステンセン自身も抱えていたという「優越コンプレックス」に関する話でした。彼は自分の体験談を交えつつ、「アドラー心理学に触れてから、自分のことを必要以上に大きく見せる必要はないことを知った。周囲の人よりも優れていたり、特別であったりする必要はなく、普通の自分でいいことを知った」という話をしました。
古賀 アドラー心理学のいう「普通であることの勇気」ですね。
岸見 そうですね。彼の話を聞いているうちに、わたし自身が自分を大きく見せようとしていたことに気づかされたんです。そして「そんなことをしなくていいんだ」と聞かされて、まるで肩の荷が下りたような気分になったことを覚えています。
古賀 ああ。当時の岸見先生も、自分を大きく見せようとする気持ちがあったのですね。
岸見 間違いありません。さらにクリステンセンは、こんな話をしました。「今日わたしの話を聞いた人は、いまこの瞬間から幸福になることができます。しかし、そうでない人は、いつまでも幸福になることができません」と。
古賀 『嫌われる勇気』の中にも登場するエピソードですが、かなり大胆な、反発を招きかねない発言です。
岸見 胡散臭いと思う人も多いでしょう。わたしも、この言葉に反発を感じなかったといえば、嘘になります。でも、反発と同時に気づかされたのです。これまで自分は哲学者として「人間にとっての幸福とはなにか?」について考えてきた。でも、「自分がどうやって幸福になるか?」については深く考えてこなかったのかもしれない。わたしは幸福ではなかったのかもしれないと。
古賀 考えるだけでなく、自分自身が実践できているか、体現できているか、ということですね。