──具体的には、どのあたりにショックを受けたのでしょう?

古賀 やっぱり僕も、心のどこかでアドラー的な発想を持っていたのだと思います。フロイト派やユング派の心理学(精神分析)だけでは説明のつかないことが多すぎるし、自分の実感として納得がいかない。そこに答えを与えてくれたのが、岸見先生によるアドラー心理学でした。

岸見 当時、日本でアドラー心理学の入門書といえば、ほとんどあの一冊だけでしたからね。

古賀 でも、その他のアドラー関連書を読んでみても、やっぱり岸見先生の本がいちばん納得できたし、おもしろかったんですよ。それで、ずっと「岸見先生と一緒にアドラーの決定版といえるような本をつくりたい」と願い続け、ようやく会いに行けたのが2010年だったんです。

──いきなり訪ねたんですか?

古賀 ある新聞社のインタビュー企画で、かなり無理をいって「どうしても岸見先生に会いたい」という話をして。半ば押しかけるように取材に行きました。

岸見 じつはそのとき、かなり失礼な質問をしてしまったんです。それまで取材に来てくださるライターさんの中には不勉強な方も多かったので、思わず「古賀さんはわたしの本を読まれたことはありますか?」と聞いたんです。すると『アドラー心理学入門』を初版で読んで、その後の著作もぜんぶ読んでいるとおっしゃる。実際、取材のときの質問も、するどいものばかりで、ずいぶん失礼なことを聞いてしまったと反省させられました。

古賀 いやいや、ごく普通のご対応だと思います。

──それで、「一緒に本をつくりましょう」という話に?

岸見 ええ。ソクラテスの言葉は、すべて弟子のプラトンによって残されました。だからわたしは、アドラーにとってのプラトンになりたいと思い、アドラーの著作を翻訳したり、解説書を執筆してきました。すると古賀さんが……。

古賀 「僕は岸見先生のプラトンになります」と答えて(笑)。

岸見 あのひと言から、『嫌われる勇気』が始まったのだと思います。

古賀 僕にとっては、10年越しの念願がかなった瞬間でもありました。