課長として行うべき判断、部長として行うべき判断、それぞれに管理職としての責任が発生し、それが成長の機会となります。その責任を会議に委ねると、会議がいわば「リスクヘッジ」の機能を持ち、無意識に会議を責任回避に使い始めるというわけです。

 課長がすべき判断を念のために上長の参加する会議に持ち込み、部長がすべき判断を本部長会議に……。

 それは、自分で決めることだと突き返せばいいのですが、上長からするとレベル下の課題解決は経験していることも多く、ついつい一肌脱いでしまう。部下からも感謝されるので、仕事をしたような充実感も得られる。

 みんな幸せだが、実は、全てのレイヤーが、一段下の意思決定を行い始めて、ますます忙しくなります。現場も、その方が精神的に楽だから文句はないし、それが、自分の成長の機会を奪っているとも感じていない。

 そうして、それぞれが行うべき意思決定を避け、責任意識と対応能力が劣化し、幹部が本来関わるべき課題が後回しになってしまうのです。

思考停止の温床

 さらに、会議があることで、幹部含め会議出席者の多くが思考停止します。本来、幹部含めて誰もが、現場事実を、幅広く、深く、素早くつかむべきなのですが、会議が定例化し、会議資料もしっかり準備されるようになると、出席者は、受け身になって、自ら情報収集を怠るようになります。

 こうなると、ビジネスの意思決定タイミングは、現場の現実がある「現在」ではなく、「会議の開催時」になり、現場の現実は会議で理解するものになります。そうでなくともそもそも現場から遠い幹部は、さらに現場をつかむ意識が弱くなり、意思決定の場においても、過去の経験に頼りがちになります。

 こうやって「古い」情報に基づいて、過去経験という「古い」基準で意思決定をし、「現実」とのギャップがますます広がります。現場の若手が、ベテラン幹部にがっかりする理由の一つはここにあります。

 また、会議の中身も、今の現場現実を理解していない幹部に合わせ始めるので、情報共有の割合が非常に大きくなります。定例会議のほとんどがこんな感じで、本当に意味のある議論は会議時間の20%もないのではないでしょうか。

 個人的な反省もあり、2014年は、自分が関わるすべての定期会議を廃止し、招待される会議にもほとんど出ないようにしました。文字通り80%以上の会議を削減してみましたが、デメリット以上にメリットが出てきたと感じています。