イスラム過激派のウサマ・ビンラディンは、アフガニスタンで反米テロネットワーク「アルカイダ」を組織し、米同時多発テロを引き起こした。これに対して米国がアフガニスタンを攻撃し、イラクのサダム・フセイン政権を倒したことで、イラク国内が内戦状態に陥り、「イラクのイスラム国」の前身組織が誕生した。隣国シリアが内戦状態に陥ると、「イラクのイスラム国」はシリア内戦に介入。IS(イスラム国)に改名した組織は活動領域を拡大し、イスラム世界全体を統一するのだという野望を示し始めている。

 要するに、ISの台頭には中東の欧米支配と、それに対する宗教・民族の問題があるということだ。だが、筆者はこのような問題を考える際に常に言われる「お互いの違いを理解しよう」などとは言いたくない。

 むしろ逆だと考える。この連載で常々主張してきたように、この問題でも、お互いの「同じところ」に意識を集中していくことではないだろうか(第67回を参照のこと)。

 中東諸国の国民や、欧米と日本に住むイスラム教徒の人たちから「イスラム教とISを一緒にしないで」という声がある。彼らは、イスラム教を信じる人たちだが、同時に、我々と同じ民主主義的なルールがある社会に住み(国によって程度の差はあったとしても)、共通の市場を形成してビジネスを行っている人たちだ。イスラム過激派は、ここに入れない貧困層から出現していることを考えると、我々は「違い」を過度に強調するよりも、この民主主義・市場経済という共通の社会基盤があることを重視したほうがいい。貧困層をなくして、民主主義・市場経済の中に組み入れていき、中長期的にイスラム過激派に走る人たちをなくしていくことである。

 もちろん、民主主義・市場経済という欧米の価値観にイスラムの人たちを合流させていくということには反発があると思う。だが、「違い」を無理に強調するよりも、現時点で「同じところ」に意識を集中することのほうが、現状の上に立ったリアリティがあるのではないだろうか。さらにいえば、短期的な軍事作戦よりも、より抜本的な解決策でもある。

 そして、ここに日本の役割があるのは言うまでもない。菅官房長官は「ISを恐れるあまり、日本が積み重ねてきた中東外交、人道支援をやめれば、テロリストの思うつぼだ」として、安倍首相が表明した難民支援など2億ドルの資金援助をさらに増やす考えを明らかにした。断固としてやり切ってもらいたい。もちろん、それだけではない。政府開発援助(ODA)やビジネス、技術提供、教育、人材育成など、日本が中東に対してできることは、一歩も引くことなく、すべて出していくべきである。