昨年6月に急逝した益本康男・前会長兼社長の後継として登板した木股昌俊社長に、就任直後の心境と将来の展望について聞いた。
――筑波工場長になるまで一貫して農機の製造畑を歩いたが、取締役に昇格してからは、営業、タイ現地法人社長、水処理事業部長、調達など多様なポストを歴任した。益本前社長による、次期社長含みの人事だったのですか。
もはや、本人に聞いてみることができないのでわからない(笑)。
入社16、17年目の筑波工場時代に先輩後輩の仲だった。向こうが生産技術課長で、僕は製造課長。当時から、益本さんに「一つか二つ、上の立場になったつもりで、物事を判断するように」と言われ続けてきた。製造課長だったら工場長や事業部長の立場で考えろと。
副社長になった時も、自ずと一つ上の社長になったつもりで判断する癖が身についていた。だから、急逝されたことに驚きはしたが、慌てふためくことはなかった。正直に言えば、すでに社長に就任するイメージはできていた。
――カリスマ性のある経営者として知られた前社長は強力なリーダーシップで全社を率いた。木股社長はいかにして独自色を出していくのですか。
人は彼のことをカリスマと呼ぶが、一緒にいた存在からすると、変わったことをやっていたわけでもない。とにかく意思決定が早く、先見の明があった。「もっと、はようやらんかい」といつも後押ししてくれたものだ。