財務省と文科省の空中戦

西内 教育だけでなく、医療分野でも同じような話があります。「私はこれで治った!」という、いわゆるエセ医療がいっぱいあるじゃないですか。私はもともと医療統計を専門としていた者として、それにすごく腹が立っているんです。

中室 最近は、「Yahoo!知恵袋にこれで治ったと書いてあったから、同じような治療をしてほしい」と言って来る患者もいるそうですよ。

西内 あはは、それはすごい。

中室 そういう事例は、アメリカでもあるものですか?

西内 いえ、アメリカでは「この病気にはこの薬を使うべき」「この治療・検査方法が妥当である」など、医学的に確かな証拠を持った治療をしなければなりません。このような「科学的な証拠」のことを「エビデンス」と呼んでいますが、エビデンスがあるということは、「予見できる」ということ。つまり、患者にエビデンス上適切な治療を施さなかった場合は「予見できるリスクを回避しなかった」と過失責任を問われますし、逆にエビデンスに基づかない治療をして患者が死亡した場合、訴訟ネタになってしまいます。なので、患者が求める治療法がエビデンス的に推奨されないものであった場合は、物凄く慎重に話し合うそうですね。

中室 なるほど。

西内 エビデンスはもともとは医学から出てきた言葉ですが、アメリカではすでにそれ以外にも教育や開発経済をはじめさまざまな分野で一般的になっています。エビデンスがなければ政策を実行することはできませんし、そもそも議論にならないんです。

中室 日本の教育においては、残念ながら「エビデンス」に基づいて議論することの重要性がほとんど理解されていません。われわれは研究者ですから、データと厳密な分析手法に基づくエビデンスを提供し、政策に貢献したいと思って、日々研究をしています。しかし、そういう理想形にたどり着くまでの道のりは遠いというのが率直な印象です。

西内 教育経済学の分野では、どのようなエビデンスの活用がなされているのですか?

中室 昨年、小学校の少人数学級に関する議論が話題に上りました。「1クラス35人の少人数学級を継続すべきか、(元の)40人学級に戻すべきか」という議論で、財務省は「40人学級に戻してコストを削減すべき」、文部科学者は「35人学級を維持すべき」と、両省の主張が真っ向から対立しました。財務省は35人学級の廃止によって、約86億円のコスト削減につながると主張していました。少人数学級をやめればコスト削減につながるのは事実ですが、その根拠として財務省が提示した 「エビデンス」は、あまりにも不十分なものでした。

西内 へえ、どんなエビデンスだったんですか?

中室 35人学級は、2011年に公立小学校の1年生に対してのみ導入されました。財務省は、2011年以前と以後で、いじめ、暴力行為、不登校の平均値を比べると、いじめや暴力、不登校には大きな変化が見られないので、少人数学級には効果がない。したがって、「40人学級に戻すべき」と主張したのです。

西内 ええっ。この表を見ると、不登校は逆に微減していますよね(笑)。

中室 そもそも、異なる年齢コーホートの子どもを単純に比較するだけでは、35人学級に本当に効果がなかったのかどうかはわかりません。いじめや暴力行為、不登校に影響を与えるのは少人数学級だけであるという強い前提が置かれており、他のさまざまな要因の影響を考慮することができていないのです。西内さんの本の例でいうと、子どもを東大に合格させることは、すべて母親の育児方針によるものだと仮定しているというくだりと同じです。財務省の主張に都合のよい数字だけがプレゼンテーションされている感が否めません。ところが、文部科学省はそこを指摘せず、「現場の教員には多忙感があるため、きめ細かい指導のためには少人数学級が必要」と主張し、別の観点から35人学級の必要性を議論しはじめました。

西内 おいおい、別の話が出てきたぞ、と(笑)。

中室 その通りです。そもそも、少人数学級の政策目標は何だったのでしょうか。財務省が主張するように、いじめや暴力、不登校だったのでしょうか。
 学力向上や学習意欲などはどうでしょうか。OECD(経済協力開発機構)が実施しているPISA(国際学力標準調査)の結果を見ると、2012年は過去に比べて国際的な順位が上昇していますので、財務省の提示したエビデンスを、いじめではなく学力に置き換えると、少人数学級の導入によって学力が上昇しているというふうに見せることができるかもしれません。

西内 それなら、35人学級による成果は出ていると言えますもんね。

中室 その通りです。見せかたによって変わってしまうというようなエビデンスでは不十分だと言わざるをえません。

西内 学生がこんなことをエビデンスとしてレポートを提出したら、我々はおそらく「不可」を出しますよね。ちなみに、文部科学省からは「先生たちの多忙感や疲労感のデータ」は出てきているのですか?

中室 OECDが実施している「国際教員指導環境調査(TALIS)」という調査の結果を根拠にしています。しかし、日本では労働者の労働時間は教員に限らず長いので、多忙感があるからといって公務員である教員を増加させることが果たして正当化されるのでしょうか。このように省益の異なる2つの議論が出てきたときに、海外では、エビデンスによって決着が図られるはずなのです。ところが日本の場合、どちらの主張にも科学的な根拠がなく、互いに「こうあるべきだ」という主張を繰り返すだけになってしまっています。

西内 互いに根拠を持たないから、地に足をつけた論争にならないわけですね。

中室 さらに、政策と言えどもトレードオフ(相反する関係)があるということもよく理解しておく必要があります。少人数学級が議論になったとき、多くのメディアは、街ゆく人々に「35人学級と40人学級、どちらがいいと思いますか」という質問を投げかけていました。多くの人が「35人学級のほうが望ましい」と答えていましたが、こうなるのは当たり前のことです。この質問は「朝食に卵焼きが出たほうがいいですか?」という質問と同じです。

西内 そう聞かれたら、「卵焼き? うーん、出たほうが嬉しいかな」と答えるでしょうね(笑)。

中室 もし、何も失わずに朝食に卵焼きが出るのであれば、ほとんど全員が卵焼きが出たほうが良いと答えるでしょう。でも、「卵焼きを選んだ人には、お味噌汁は出ませんよ」という条件が付いたらどうでしょうか。経済におけるお金や資源は希少ですから、必ずトレードオフがあります。35人学級に86億円のお金を投資すれば、他のところにかけるお金がそれだけ減らされるわけです。その機会費用を無視した質問をして、35人学級のほうが望ましいと答えた人が多かったからといって、それが世論だというのはあまりにも乱暴です。

西内 そういう前提を知らない人が多いと、建設的な議論にならないわけですね。

中室 自らの省益に都合のよいように切り取ったエビデンスだけではなく、代表性のあるデータを用いて、統計学的に信頼できる手法を用いて、政策の効果を明らかにすべきです。その意味では、メディアも、政策担当者も、そして国民である私たち自身ももっと統計リテラシーのレベルアップが必要だとつくづく感じます。その意味で、西内さんの『統計学は最強の学問である』は必読書だと思いますよ、本当に(笑)。