和解をするにあたり、遺族らが一定の納得を得たのは、幼稚園側が法的責任を認めたことや、裁判所が学校の防災についての意見をつけることが認められたからだ。これらは、一審判決をほぼ踏まえものと言える。

 昨年12月に和解となったが、和解条項の1つには「幼稚園側は、一審判決で認められた法的責任を認めるともに、被災園児らと家族に対し、心から謝罪する」と盛り込まれた。筆者が取材で訪れた2月上旬の時点では、幼稚園側は和解以降、西城さんに謝罪などをしていないようだった。

娘を失ったからこそ
よその子でも守ってあげたいんだ

春音さんの遺影を見上げる西城さん

 西城さんは、春音さんの遺影のほうをわずかに見つめ、話した。

「今のところ、うちには来ていないし、連絡もない。あの人たち(幼稚園側)が、この遺影の前で頭を下げたところで、俺の心の中で受け入れる体制ができていない。許せるわけがない。

 俺は条件が整えば、幼稚園や保育所という形で復活してもらいたいとは思うよ。ただし、当時の園長とか、理事長が経営に関わるならば、俺は納得がいかない。また、犠牲になる子が現れるかもしんねぇから。あの人たちとは関係がない、第三者の方のもとで、きちんと子どもたちを守ってくださるならば……。娘を失ったからこそ、たとえよその子でも守ってあげたいんだ」

 遺族らは、新たなる闘いを進めている。昨年12月、和解の後、文部科学省を訪れ、要望書案を提出した。日和幼稚園の惨事が繰り返されないように、文部科学省のもと、教職員への指導や自然災害が起きたときの具体的なマニュアルなどの作成、実質的な避難訓練がきちんと行われているかをチェックする体制をつくることなどを、求めたものだ。西城さんは、「娘たちの死を無駄にしないためには、文部科学省に辿り着かないといけないと思った」と話す。

「もう、自分たちの娘は帰ってこないけど、この震災の教訓を全国の学校とか幼稚園・保育園などで生かしてほしいの。恰好つけるわけじゃないけど、俺たちで子どもたちを守れることができるならば……。なんとかしてやりてぇと思うから」

 江津子さんが、西城さんの頭の上のほうにある春音さんの写真を見て口にしていた。

「小学校3~4年の女の子を目にすると、ああ、今ごろはるはこんな感じになっているのかな、って思う。だけど、イメージが浮かばないんだよね……」