Photo by Yoriko Kato
東日本大震災の大津波で幼稚園バスが流され、園児らが死亡した石巻市の私立日和幼稚園の裁判が今月3日、高裁での和解という形で幕を閉じた。園児の4遺族が、発災からまだ間もない時期に損害賠償を求めて提訴してから3年4ヵ月。遺族側の完全勝訴となった12年9月の一審判決を、全面的に踏まえた和解内容だった。
遺族と幼稚園側の和解が成立してから5日後、裁判に参加した4人園児の遺族が、筆者の取材に応じてくれた。和解に至るまでの遺族たちの葛藤と、裁判後に始めた新たな活動について紹介する。
本当に和解でいいの?
震災当時6歳だった愛梨ちゃんを亡くした遺族の佐藤美香さん宅を訪れると、母親たちが集まっていた。亡くなった子たちの妹や弟にあたる小さい子どもたちの面倒をお互いに見ながら語り合うのが、震災後の日常になっている。
「すごく、すごく、すごく悩みました。本当に和解でいいのかな? 和解で何が得られるんだろう? って」
美香さんは、和解を受け入れるまでの葛藤をそう振り返る。
日和幼稚園の控訴審は、早い段階で和解協議が始まった。今年1月31日に行われた初回の弁論で、裁判長が両者に和解の意思を確認したところ、園側はすぐに「あります!」と答えたのだ。交渉のテーブルに就くために遺族側が出した条件は、「幼稚園が法的責任を認めるなら」というもの。すると園側はすぐに、法的責任を認める意思を伝えてきた。
「私たちは、園側の最大限の誠意の示し方として、控訴そのものを取り消してほしいと申し入れました。しかし、取り下げは無理と主張されたんです」(美香さん)
法的効力のある裁判内での和解を勧める関係者からの声も強かったが、争うという姿勢そのものを止めてもらうことを、遺族は望んだ。
園側が控訴取り下げを決断しやすいように、遺族側は、一審判決が命じた計約1億7700万円の賠償額を、ぐっと下げた金額を提示した。ところが幼稚園側は、園舎の解体費用という名目の数千万円の見積もり書を提出してきた。何度かのやり取りの結果、解体費用は差し引かれ、賠償額は計6000万円で落ち着いた。
「でも、控訴そのものは取り下げてくれなかった。私たちは、その理由を知りたかったけれど、結果的にその理由も幼稚園側から出てこなかった」
美香さんは残念そうに話す。