大川小校舎保存を卒業生が強く望む理由被災した大川小学校の校舎。「保存」か「解体」かを語り合う場が初めて設けられた
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 4年前に起きた東日本大震災で、学校管理下にあった児童・教職員84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。津波で被災した校舎の保存か解体かを巡って、子どもたちや遺族らが、様々なしがらみの絡み合う地域の中で、初めて「賛成」や「反対」といったそれぞれの違いを語り合える場が設けられた。

 また、参加者にアンケートを行ったところ、校舎全体の保存を望む声が多数を占めたことから、今後、地域の中では、保存に向けた議論へと一歩前に踏み出すことになる。

被災校舎は「保存」か「解体」か
初の住民協議会に120人が参加

大川小校舎保存を卒業生が強く望む理由地域住民の前で校舎保存のプレゼンテーションを行った卒業生たち
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 むき出しになった無数の梁や捻じ曲がった連絡通路などが、津波による水圧の威力と恐ろしさを、まざまざと訴えかけてくる。

 これまで手を付けてこなかった大川小学校の校舎の問題に対し、4年を迎えるにあたって地域の意見を集約しようと、この3月8日、地域住民でつくる「大川地区復興協議会」(大槻幹夫会長)は、「大川地区復興計画(案)全体説明会」を河北総合センターで開催した。

 この日、地区長を通じて呼びかけられた対象者は、旧大川村エリア内の釜谷、尾崎、長面、針岡、福地の5地区に住んでいた700世帯余り、約2400人。そのうちの120人余りが参加した。

 同協議会は、被災校舎の取り扱い、及び校舎周辺に慰霊公園をつくる「鎮魂の森整備計画(案)」を示したうえ、第1案「解体後、跡地に昔の校舎の写真・映像をスマホ等に映し出す」、第2案「低学年棟や野外音楽堂などの施設を一部残す」、第3案「全施設を残す」の3つの案を提示。これまで「予算を市役所に要望しても、返事が来なかった。早めに言っておかないと不安」だとして、「大川地区復興計画案」策定に至るまでの経緯を説明した。

 復興計画のあり方については、9回にわたって協議会が「オープン方式で」説明会を開いてきたほか、大川小の遺族会、父母教師会、学校が立地していた釜谷地区の住民にも説明会を行い、意見を受け止めてきたという。

 そして、大槻会長を進行役の議長に選出。3つの案についての意見交換を行った。