初優勝を飾った87年から10年連続でシードを獲得し、96年には「日本プロマッチプレー」で優勝、5年シードを獲得した。順調にキャリアを積んでいたが、97年、98年と結果が出ず、シード圏外の成績でシーズンを終えた。

「毎年が勝負と思って10年以上戦ってきたんですが、5年シードを手に入れたことで、『あと10ヤード飛距離を伸ばそう』とスイング改造に着手したんです。当時は試合数が多く、オフが短かった。スイングを改造するにも、なかなか時間が足りなかった。5年シードを手にして、ついに着手できるぞと思ってやってみたんですが、うまくいきませんでした。立場が保障されたことで、挑戦する気持ちをなくしていたんだと思います」

 2000年の「東建コーポレーションカップ」で通算5勝目を挙げ、シニアツアー参戦1年目の10年には「富士フイルムシニアチャンピオンシップ」を制した。

 芹澤は「ここまでゴルファーとして大成するとは思っていなかった」と話す。キャリアを振り返るとき、自ら「大成」という言葉を使うのも珍しい。それだけプロとして歩んできた道に自負があるのだろう。

「ずっと後悔しないように生きてきたつもりです。スキーを志半ばでやめた後悔があるので、その分、ゴルフに打ち込めたと思います。シーズンに何勝もする選手ではなかったかもしれませんが、階段を1段1段、上がってきて、1勝ずつ積み上げてきて、今がある。自分ではここまでやれると思っていませんでした」

プロゴルファー、芹澤信雄<br />「僕を踏み台にして越えていけ」チームセリザワは今や17人の大所帯で、賞金王も輩出している

 弟子である藤田が賞金王に輝いたとき、「ゴルフは急にはうまくならない。だけど長く継続し続けたら、少しずつかもしれないけれど、必ずうまくなっていく」と語っていた。その教えこそ、師匠から藤田が受け継いだものだった。

 後進の指導でも、芹澤の活躍は目立つ。

「藤田君はどちらかというと安定したタイプの選手で、いつもランク20位ぐらいに入って、2年に1回ぐらい勝てればいいような、僕と同じタイプの選手だと思っていた。それが賞金王ですからね。僕の見る目がなかったと思います(笑)。メジャー6勝の宮本君は、謙虚な藤田君とは対照的に、勝つとすぐにてんぐになっちゃうタイプ。あいつの鼻は5回ぐらい折っています。ハハハハ」