「のらりくらりとやっているうちにまた震災が来て同じことを繰り返してしまうだろう。早急に対応して、二度と起こさないとして欲しかったのに、真逆の対応だ……」と遺族の只野英昭さん(2015年4月24日、仙台市内) Photo by Y.K.

 一方、石巻市は、この日、提出した準備書面の中で、当日の時間を細かく特定。拡声器で避難を呼びかけていた市の広報車が、小学校付近を通過したのは、15時28分から30分頃と推定している。

 当時現場にいて、教職員の中で唯一生還したA教務主任が聞いたサイレンについても、行政無線ではなく、「学校付近を通った市の広報車の可能性が高い」としたうえで、A教務主任が教頭に「津波が来ますよ。どうしますか?危なくても山へ逃げますか?」と問いかけた時刻は、概ね15時29分~31分頃であったとしている。

 こうして教頭が、収集した情報をもとに、A教務主任の問いかけも踏まえ、「小学校校庭に留まることなく、高台(三角地帯)に2次避難する」との意思決定を行ったと、市は主張する。

 また、市は「このような結果に帰結したことは痛恨事であり、“いかにすれば、こうした悲劇を防ぐことができたか、できるか”を、将来のために追求すべき立場にある。そのことに異論はない」としながらも、「教職員らは、当時の状況、情報等を前提に、標準的な教職員らとして当然に要求される水準の行動をとっていた」と述べる。

 なお、児童たちが避難に向かった河川の堤防である「三角地帯」を防災上、避難すべき「高台」と言えるのかどうかについては、とくに触れられていない。

 この日は、被告の宮城県も、初めて準備書面を提出。「学校管理下の事故であっても、通常の損害論に依拠して判断されるべき」などと主張した。