仙台地裁で行われた裁判の3回目の弁論に、遺族15人が揃った
Photo by Yoriko Kato

 3年半前に起きた東日本大震災で、児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の惨事。これを巡り、児童の命を守る義務があった学校が事前の防災体制の不備や危険回避を怠ったなどとして、23人の児童の遺族19家族が、市や県の責任を問う国賠請求等の裁判を起こしている。本格的な冬が訪れたばかりの12月9日、仙台地裁(高宮健二裁判長)で第3回弁論が開かれた。

生存教諭・校長・指導主事らの証人申請を
遺族側が提出

 原告側は、この日、現場検証を求める検証申立書を提出した。具体的には、大川小学校の校舎や校庭、裏山の各避難ルート、釜谷交流会館、ポンプ小屋、地蔵尊、大川小学校に近接する北上川、富士川、三角地帯、(地域の人が多く避難した)整備工場、(児童が学校行事で裏山に植樹を行っていた)バットの森、釜谷トンネル等、その周辺道路等を検証先に挙げた。

 こうした検証によって、校庭に避難していた児童は、容易に避難が可能だった事実を明らかにしたいとしている。

 また、原告側は、教務主任だったA教諭や当時の柏葉照幸校長、当時の加藤茂美指導主事らの証人申請を提出した。

 A教諭に対しては、主に津波が到達する前の教職員や子どもたちの行動、柏葉元校長に対しては、津波到来後にとった行動、加藤元指導主事に対しては、子どもたちの聴き取りメモを破棄した状況や「裏山に木が倒れているから避難は困難だった」と述べた根拠を聞きたいという。