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渋谷の道玄坂にある某ゲームセンター。女子高生が集まるこの店で、バンダイナムコゲームス(以下、BNG)が今年7月に発売したプリントシール機「Jewella Eye」(ジュエラ・アイ)の前には長蛇の列ができている。「120%デカ目革命!」をうたい、通常のプリントシール機に比べて目が自然に大きく写るというふれこみで、注目を浴びているのだ。
1995年にアミューズメント機器大手のアトラスとセガが共同開発で発売し、空前のヒットとなった「プリント倶楽部(プリクラ)」。それから13年を経て、さまざまなヒット製品が浮沈するなか、ゲームセンターのプリントシール機コーナーは、今も若い女性で溢れ返っている。
爆発的にヒットしても簡単に廃れる製品が多いのに、なぜ“プリクラ”は「ただの流行」で終わらなかったのか。その根強い人気ぶりは驚くばかりだ。
実は、プリクラで名を馳せたアトラスも、現在ではプリントシール事業を縮小させており、登録商標となっている「プリクラ」という言葉だけが一般名詞のように使われているのが現状だ。華々しく登場したプリクラは、97年頃までに第1次ブームのピークを迎えるが、その後も女子高生の激しい志向の変化に同調するかのように、筐体(機器の本体)の流行も変化し続けている。その変遷を振り返ってみよう。
目まぐるしく変わる流行機種
女子高生を逃さない「仕掛け」とは?
98年には、トーワジャパン(倒産)と日立ソフトウェアエンジニアリング(以下、日立ソフト)との共同開発で「ストリート・スナップ」シリーズが登場した。これは、上半身だけでなく全身を写せるようになったことで話題を呼んだ。
さらに、2002年には肌色など画像処理の技術を進化させた「劇的美写」を日立ソフトが発売。このヒットにより、カメラやプリンタなどのスペックを重視した機種が相次いで発売され、一気に画質が進化した。
画像処理ブームが一段落した後に人気を得たのが、ナムコ(当時)の「花鳥風月」シリーズ。高画質に加えて、「真夏」「夕焼け」などテーマごとに最新CGを使ってフィルタリングをかける技術を取り入れた。それを機に、プリントシール機の中に、シチュエーションごとの遊び要素が取り入れられるようになる。
このように、数年おきに技術革新が行なわれ、ヒット機種が登場し続けてきた。プリクラが定番化した背景には、その時代ごとに女子高生の心をつかみ、「客層を若返らせ続けた」という独自の歴史がある。