写真:稲城市の武蔵野南線地上区間稲城市の武蔵野南線地上区間(筆者撮影)

武蔵野南線は3月1日に開業50周年を迎えた。武蔵野線は知っているが、武蔵野南線なんて聞いたことがない、という人もいるだろう。同線は武蔵野線の一部として府中本町~鶴見間を結んでいるが、定期旅客列車は走行しない貨物専用線である。この「知られざる路線」の半世紀の歴史とは。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

約200キロに及んだ
「東京外環状線」計画

 武蔵野線は、計画・整備段階では4つの線区に分割して進められた。府中本町~南浦和間は武蔵野西線、南浦和~新松戸間は武蔵野東線、新松戸~西船橋は小金線、これらと武蔵野南線、京葉線をあわせて約200キロメートルに及ぶ「東京外環状線」を構成する計画だった。

 なおここで言う「京葉線」は、新木場から現在のりんかい線を経由して東京貨物ターミナルに乗り入れる貨物専用線である。鉄道貨物の縮小を受けて、都心線(東京~新木場間)を追加した上で、旅客線として開業したのが現在の京葉線だ。

 東京外環状線の構想は戦前から存在したが、高度成長が始まり、輸送需要が急増すると一気に具体化した。1957年に国鉄の「工事線」に指定され、本格調査に着手。1964年に鉄道建設公団が発足すると、武蔵野線は公団の担当とされた。

 1950年から10年間で、貨物輸送量(トンキロ)は73%、旅客輸送量(人キロ)は80%増加した。しかしながら、当時の鉄道網は貧弱のひと言だった。主要路線の複々線区間はわずかで、貨物専用線も山手線(田端~品川間)、東北線(田端~大宮間)、東海道線(品川~鶴見間)程度。旅客も貨物も増発の余地はなかった。

 特にネックだったのは、都心を通過する貨物列車の存在だ。主要各路線のジャンクションは山手貨物線しかなかったので、東京が目的地でない貨物列車も都心に乗り入れていた。これを迂回させれば、その分の旅客列車が増発可能であり、貨物専用線の貨客併用化も期待できる。

 1960年から1965年の5年間は、貨物は5%増だったが、旅客は40%増加し、旅客輸送の逼迫(ひっぱく)がより顕著になった。この頃、国鉄は主要路線の複々線化「通勤五方面作戦」に着手するが、これと表裏一体だったのが武蔵野線だった。

 もうひとつの背景は、政府が進める首都圏整備計画だ。これは過度の都心集中を排除するため、首都圏外縁に衛星都市を造成する構想であり、その育成・発展に都市相互間を連絡する鉄道新線が必要とされた。

 武蔵野線の開業時輸送計画は、貨物列車が最短4分間隔、旅客列車は朝ラッシュ15分間隔、夕ラッシュ20分間隔、その他時間帯40分間隔だった。これが武蔵野線に対する貨物と旅客の期待の比率だったのだろう。