ウィーン大学における科目履修、最後の1年である第7学期と第8学期にシュンペーターが登録した科目は以下のとおりである(※注1)。科目数はだいぶ減り、卒業後にハビリタチオン(講義資格試験)を突破するための研究テーマを決める段階になる。その後さらに勉強を続け、論文を書かねばならない。
シュンペーターは最後の学期にオイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク名誉教授のゼミを受講することになった。
シュンペーター
最後の履修科目
■1904/05 冬学期(第7学期)
『行政学・オーストリア行政法』
『オーストリア民事訴訟法』
『オーストリア商法・手形法』
『経済政策』★
『統計学ゼミナール』★
『財政学演習』★
『オーストリア国家・法制史ゼミナール』
『経済学演習』★
『微分幾何学第2部』
★が経済学関係の科目であり、前期に引き続き、『経済学演習』はヴィーザー教授が開講するゼミである。
■1905 夏学期(第8学期)
『オーストリア民事訴訟法第2部』
『オーストリア商法・手形法』
『一般・比較・オーストリア統計学』
『経済学演習』★
『経済学演習』★
2コマの『経済学演習』は、フィリッポヴィッチ教授とベーム=バヴェルク名誉教授によるゼミナールだ。フィリッポヴィッチについては連載第14回にくわしく書いた。今回はベーム=バヴェルクについて説明しておこう。
オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク(Eugen von Böhm-Bawerk 1851-1914)は前回登場したフリードリッヒ・フォン・ヴィーザーと同年生まれの同窓同期生である。後年、義理の兄弟となる、といろいろな文献に書いてあるから、夫人同士が姉妹なのだろう
ベーム=バヴェルクはモラヴィア(現チェコ東部)のブルノ(※注2 当時のドイツ語名ではブリュン)に生まれたドイツ人だから、シュンペーターと同郷ということになる。父親の死後ウィーンへ移住したところまでシュンペーターと同じだ。