建設決定当時の民主党政権は
どう対応していたのか

ここにきて与野党内からも批判が噴出していたが… 写真提供:日本スポーツ振興センター

 新国立競技場問題が収まらない。ついには計画見直しの方針と伝えられているが、与野党内外から、いろいろな不満が漏れてくる。感情的には筆者も同感であり、一体この国で何が起きているのかと思う。どこかの五輪誘致に奔走した中進国の出来事を見ているようだ。

 ただ、あまりに感情的になっても仕方ないので、客観的な資料データを提供するようにしている。その一つが、本サイトとライバル関係にある現代ビジネスに、13日アップした「新国立競技場建設問題 民主党の『信じがたいミス』が諸悪の根源だ!」だ。かなりのアクセスがあったようだ。

 編集部から、新国立競技場の問題点でもどうかというお勧めがあったので、それに甘えさせていただく。しかし、他サイトのコピペでは申し訳ないので、本コラムは、別の観点から書こう。

 実は、他サイトで書いたのは、政府サイド(含むJSC[日本スポーツ振興センター])の資料から見て、民主党政権下での初期動作において、情報開示とコスト計算で致命的なミスがあったという話である。具体的には、平野博文文科相の時に、新国立競技場建設のための予算(調査費)を付け、田中真紀子文科相の時に、あの2本のキールアーチ構造のデザイン決定をしたが、その情報公開がまったく不十分で、問題点が広く知られなかったということだ。そうした初期動作で、IOC(国際オリンピック委員会)への立候補ファイルや都市計画などが決まっていた。

 本コラムでは、それに対して、国会がどう対応したかなどを書きたい。最近、民主党は国会でこの問題を追及しているが、民主党政権ではどのように対応していたかが、当時の国会議論からわかる。