批判相次ぐ建設計画だが
誤解や理解不足も多い
写真提供:日本スポーツ振興センター
こんにちは、鈴木寛です。
新国立競技場の建設計画が揺れています。早い時期からザハ・ハディド氏の大胆なデザインを巡り、国内建築家による異論が噴出していましたが、資材・工事人材の予想を超える高騰という社会情勢の影響をもろに受け、開閉式屋根の取り付け工事をオリンピック後に遅らせることになりつつあります。そして現在は、建設費高騰で膨れ上がった整備費の一部を、国が東京都に負担をお願いしたことに舛添知事が反発されています。
その中で、建築家グループも開閉式屋根をなくす等の抜本的な見直し提言を行い、建設主のJSC(日本スポーツセンター)に対して「警告の意味を込めた提言」と強い口調で注文をつけられました。
こうした動きに報道も活発化しつつあるわけですが、皆様のご意見・ご批判は真摯に拝聴し、計画の見直しについて引き続きご周知させていただくべく、文科省として最善の努力はしていくべきです。ただ、一方で、この間に出てきた言説の中には、一部で誤解に基づくもの、あるいは新国立競技場を建設する根本的な意義をご承知でないように見受けられるものもあります。ひどいものでは、「いっそ更地にしてしまえ」と酷評する有識者の言説までありました。
なぜ、8万人収容の競技場を作らなければならなかったのか。なぜ、スタジアムに屋根が必要なのか。そして、「国策プロジェクトだから国が全ての責任と負担を負うべき」なのか──。
私は現在、文部科学大臣補佐官ではありますが、本件を直接、担当しているわけではありませんので、以下はあくまで個人の立場での見解です。しかし、文部科学副大臣時代を含め、この10年、オリンピック・パラリンピック招致に関わってきた経験から、これまでの経緯、それぞれの施策の意図を振り返ることで、今後の議論の参考にしていただければと思います。