この頃、社長と創業期に一緒だった数人は退職していた。中途や新卒で雇う社員の半数以上は、1~2年で辞めていく。定着率は極端に悪い。それでも、社長は強力な営業力で仕事を受注し続ける。それを消化する体制を、岩上はつくり続けた。当時を知る数人は、「2人は同志であり、運命共同体」と評する。

 岩上は10年ほど勤務した30代半ばのとき、社員50人ほどの中で最も社歴が長くなっていた。役職は部長で、しかも営業部や管理部、総務部などを束ねた「総合企画部」のトップに立つ。部下は30人近くになる。この時点で事実上、ナンバー2になっていた。

36歳で役員昇格、年収1500万円
創業社長の退任で狂い始めた歯車

 岩上は36歳で役員となった。社長の勧めで大量の株式を保有したところ、3年後に会社は上場した。上場により、岩上は「億万長者」となる。40歳の頃だった。高級車のベンツを数年ごとに買い替え、オフィスのある都心まで乗り回す。それほどに収入は増えていた。年収もいつしか1500万円を超えていた。部下たちへの態度も、しだいに横柄になっていく。

 30代前半で結婚した夫との間に、子どもはいなかった。お金は、そんな寂しさを紛らわせてくれた。夫との冷めた関係も、見えないものにしてくれる。なぜか、30代半ば以上の独身男性や女性社員をバカにする機会も増えてきた。

 一方で、こんな立場にしてくれた創業社長には、一段と忠誠を尽くすようになった。同世代の社員からは浮いた存在となり、孤立するようにもなった。2人を知る数人は、「男と女、もっと言えば夫婦のようにも見える関係だった」と語るが、真相はわからない。

 岩上の身に思わぬことが起きた。上場し、わずか数年で創業社長は退任することになった。それ以前から、「辞めるかもしれない」と本人から密かに聞かされていた。社内の管理職や退職した管理職は、こう話す。

「社長は上場後の会社のあり方に思いをめぐらすことがあまりなかった。もう、行き詰まっていた」「上場後、会社に来るのは10日に1回程度。数十億円を手にすれば、無理もない」「うつ病になった」「がんになっていた」――。

 岩上は、こんな風評を意に介さなかった。「いよいよ自分が社長になることができる」と期待した。この頃はもう、創業社長のことは意識になかったようだった。もともと、男性に対しては対抗意識が強かった。気性が激しく、負けん気だった。特に同世代の男性の役員には、ライバル意識を露骨なほどに露にしていた。