「村山談話」は正確には
「日本国総理大臣談話」

――村山談話をめぐって、何かエピソードはありますか。 

 その1つは、「談話」発表直前に内閣改造があり、官房長官が五十嵐広三さんから野坂浩賢さんに替わり、野坂長官が閣議決定の手続きをとろうとおっしゃったこと。これには大変、驚きました。

 村山内閣は社会・自民・さきがけの連立内閣、自民党の閣僚方には橋本龍太郎先生(遺族会代表、通商産業大臣、副総理格として入閣)はじめ、この問題で一家言おありのおっかない方が何人かいらっしゃった。閣議で紛糾して通らなかったら、国際的にも大変まずいことになる、と。そこで大急ぎで内閣参事官室の人たちが、閣僚方に事前の根回しに参上しました。もっとも大物閣僚の方々には、野坂長官が直接、お話しになったようです。

 その過程で橋本龍太郎先生だけは、私からお願いして、村山総理ご自身が電話でお話しになっていました。しかし、「テキストを精査したいから持って来てほしい」と。そこで仕方なくお届けしたところ、しばらくして村山総理に対し「テキストに“敗戦”と“終戦”と両様の書き方があるが、これは“敗戦”にそろえてはどうか」とご連絡がありました。少しびっくりしたものの、直ちにそうしました。

 後日、橋本先生にお会いした折、このことを話題にしたところ、「あれはどうみても無謀な戦争だった。赤紙一枚で戦争に駆り立てられた兵士たちの関係者も、自分たちの親、兄……たちは、そのような無謀な戦争の犠牲者だったと思っている。だから“敗戦”で、遺族会も一向にかまわない。その方が潔い」とおしゃっていました。「君たちは遺族会を色眼鏡で見すぎる」とお小言もいただきました。

 あの談話が出た当時、あれは社会党の党首・村山富市氏が個人的感慨を述べたにすぎないという向きもありましたが、閣議決定も経ている、以上の経緯からも、あれは「村山談話」というより政府が一体としたその考え方を表明した「日本国総理大臣談話」と言うべきです。

 でも、今ふり返ってみて、あの「談話」は村山さんが総理の内閣であったればこそできた、つくづくそう思いますね。連立のパートナー、自民党については、私は河野洋平外務大臣(自民党総裁)のところへ内々に案文をもってご相談に行っておりましたが、河野大臣は、テキストを懐にしまわれただけでした。恐らくあの案文を党にはかるとできるものもできなくなると思われたのでしょう。