ツイッターほど、はまっている人と興味がない人との温度差が激しいツールはないと言えるでしょう。

 前回でも触れましたが、はまっている人の中には、「ツイッターの素晴らしさをもっと広く伝えなければ!」という使命感を抱いて、ことあるごとに啓蒙活動に励もうとする“信者”が少なくありません。

 その博愛の気持ちは尊いといえば尊いのですが、勧められる側がさほどツイッターに興味がない場合は、どう対処していいのか困ります。今日も全国各地で、ツイッター信者の熱い勧誘を受けて、勧められる側が苦笑いを浮かべているという構図が繰り広げられていることでしょう。

 ツイッターをやっていない側のあなたが、そういう災難にあったときはどう対処すればいいのか。信者の勧誘に対する平和で適当なかわし方を考えてみましょう。

「ツイッター様」を否定するのは危険

 程度の差こそあれ、ツイッターを熱く勧めたがる信者のみなさんは、「ツイッターによってもたらされる新たな可能性」を信じ、そんなツイッターと人より早く仲を深めていることに、ちょっぴり優越感を抱いていると言えるでしょう。どう見ても熱が入りすぎている人の中には、ツイッターに過大な望みを託して、いまいち不本意な現状から自分を救い出してくれる救世主のように見ているように思えるケースもあります。

 いや、あくまで極端な例をあげているだけなので、「俺は違う!」とムキにならないでください。もちろん、私の周囲のツイッター好きのみなさんに対して、私がそういう目を向けているわけでもありません。

 今後の人間関係を考慮した言い訳で話がそれましたが、ツイッターを熱く勧めてくる人にとって、ツイッターにはまっていることが誇りであることは確か。何はさておき、そこを見逃さないようにしましょう。

 たとえば、最近ツイッターにはまっている同僚に、「お前もやったほうがいいよ」と熱心に勧められたとします。楽しさを説かれても、いまいちピンと来ないからといって、

 「うーん、よくわかんないなあ。みんなが勝手につぶやき合ってるなんて、なんか気持ち悪い世界のようにも思えるけど」

 「そのフォローっていうのをされてても、自分のつぶやきを読んでもらえる保証はないし、知り合いのつぶやきを見逃す可能性も高いわけでしょ。なんか失礼だよね」

 などと、偉大なる「ツイッター様」の仕組みを否定する言い方をしてしまうのは危険すぎます。