安保法案がついに成立
参議院は何をしていたのか?
9月19日未明、参議院本会議にて安保法案が可決成立した。
連日国会前に集結した人々によって繰り広げられた反対デモ、可決を阻止しようとあの手この手が講じられた野党の奮闘も空しく、問責決議案も否決され、安保法制の国会審議は終わった。
安保法案反対派の人々は「全てが終わってしまった」という強い無力感を覚え、賛成派の人々は「これで一安心」と思ったことだろう。
しかし、いずれの立場に立っているにせよ、連日の与野党の攻防をテレビ中継で見ながら、多くの国民が最も強く感じたのは、「最後の攻防が行われた参議院という議論の場には、いったい何の意味があったのか」ということではないだろうか。
たとえば、民主党政権が中途半端に終わってしまった1つの原因として、2010年7月の参院選に大敗し、ねじれ現象が起きていた参議院が「足かせ」になってしまった点が大きいことが挙げられる。当時の政局を考える上では、参議院の意義はあったと言えるだろう。
しかし、「足かせが大事」と言っても、戦前の貴族院は戦争を止められなかったし、戦後参議院が肝心なところで法案を跳ね返した例はほとんどなく、「参議院があってよかった」という事例は、正直聞いたことがない。特に今は衆参で「ねじれ現象」が生じておらず、与党が衆参両議院で安定多数を獲得した状態なので、衆議院での決定が参議院を「素通り」する無意味な状態に陥っている。
安保法案が可決・成立した今、この法律ができたことで生活にどんな影響が出るのかということは、我々にとって最大の検証事項だ。またその一方で、日本の安全保障の未来を左右する重大法案が議論された国会の意義、とりわけ最後の攻防が行われた参議院という場の意義を議論することも、重要である。
今回の安保法案をめぐる国会運営を振り返りながら、「この国の形」について考察したい。
そもそも、参議院とはどんな場なのだろうか。その起源は、戦前の「貴族院」である。「貴族院」は、1890年から1947年の57年間にわたって存在した。そのうち28年間にわたって、第16代徳川家当主の徳川家達が貴族院議長を務めている。また戦後、貴族院が廃止されたときの議長も、第17代徳川家当主の徳川宗家議員である。この事実が象徴しているように、貴族院議員とはその名のとおり、「貴族」すなわち当時の既得権益者へ与える地位として創られたと考えられる。そして戦後、参議院はこの「貴族院」が名を変えて踏襲されたものに過ぎない。