大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるそのバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら、歴史を逆引きするのがテーマだ。今回は「ギリシャ・ショック」から「リーマン・ショック」発生までの歴史を逆引きしていく。(坪井賢一)

欧州大不況を招いた
リーマン・ショックの衝撃

 2009年10月、ギリシャの総選挙で与党が破れ、政権交代した。同時に前政権による財政赤字の粉飾が明らかになり、ギリシャの債務危機が表面化した。現在にいたるユーロ危機の発端である。

 ギリシャの前政権が崩壊したのは大不況のためである。2009年のユーロ圏のGDP成長率は▲4%であり、ギリシャをはじめ、各国政府は政府支出を激増させて需要を支えようとしていた。一方、支出をまかなうために増税策を打ち出さざるをえず、ギリシャ国民の不満は高まり、総選挙で野党を勝利させることになる。事情は日本も同様だった。

 欧州の大不況の直接的な原因は、もちろん2008年9月の米リーマン・ショックにある。サブプライム・ローン債権を小口化し、他の債権と組み合わせた証券化商品を仕組んで格付を上げ、世界中に売りさばいていたのはリーマン・ブラザーズに代表される米国の投資銀行(証券会社)である。

 米国の住宅バブルのピークは2006年だが、バブルが崩壊するとあっというまに買い手が減少していく。資産は劣化し、投資銀行は巨額の損失を計上し、事実上の債務超過に陥ったというわけだ。

 バブル崩壊2年、ついにリーマン・ブラザーズが倒産したわけだから、欧州も激震に襲われた。というのは、サブプライム・ローン関連証券化商品に投資していた金融機関は、米国以外ではEU諸国が圧倒的に多く、買い手のいなくなった市場で巨大な不良債権となった。

 金融機関が不良債権で過剰債務となり、身動きがとれなくなると企業への資金も流れず設備投資も減り、景気は悪化する。これを「デット・オーバーハング」という。人々の所得も下がり、需要は急激に減退する。これは90年代の日本で経験したプロセスである。金融危機と不況は欧州でもっとも深くなった。