世の中には、家族写真の年賀状にイラっとくる人がいるらしい。何故なのだろう。結構なことではないか。筆者の元にも、子どもの成長を写真付きで報告する年賀状が送られてきたが、幸せそうな家族の姿を見ることができ、温かい気持ちになるばかりで、頭にきたりなんかまったくしない。世間には心の狭い人がたくさんいるようだ。
しかし、家族写真に困惑する人の気持ちも、理屈的にはよくわかる。結婚したくてもできない人、子どもを授かることができない人、何らかの事情で幸せな家庭生活を営めていない人。世の中にはさまざまな事情を抱えている人がいて、そういった人にとっては他人の幸せが自分への「排除」と感じてしまうことがある。
その言葉は政治的、社会的に正しいか
最近では、ポリティカル・コレクトネス(PC)の重要性が高まっている。性別、婚姻状況、職業、文化、人種、民族、宗教、障がいの有無などに対し、偏見のない中立的な表現や言葉を指すもので、PCへの配慮を欠いた発言は“炎上”の対象になる。特に2015年はPCへの配慮を欠いた政治家の発言に非難が集まった年だったと思う。映画を制作する際にも、PCへの配慮が求められているという。
PCへの配慮は、物書きをしている筆者にとっても他人事ではない。たとえば、記事中で「ビジネスマン」という言葉を使うと、十中八九、編集者に修正される。ビジネスマンという言葉自体が、「サラリーマン(月給取り)」という呼び方に潜む職業的な偏見に配慮した言葉ではあるが、ここでは「マン」が問題になる。
女性も働いているのだから、「マン」では性別への配慮が欠けてしまっている。だからと言って、「ビジネスマン、ビジネスウーマンの皆さん」などといちいち表記するわけにもいかないため、「ビジネスパーソン」が一応の正解とみなされている。「営業マン」も同様の理由で、「営業パーソン」と表記する場合があるようだ。