『0歳からみるみる賢くなる55の心得』から、脳科学の権威・久保田競先生と、「脳科学おばあちゃん」久保田カヨ子先生のメッセージをお届けする。

「感覚をみがく」とは?

久保田 競
(Kisou Kubota)
1932年生まれ。医学博士、京都大学名誉教授。世界で最も権威がある脳の学会「米国神経科学会」で行った研究発表は日本人最多の100点以上にのぼり、現代日本において「脳、特に前頭前野の構造・機能」研究の権威。2011年、瑞宝中綬章受章。『ランニングと脳』『天才脳をつくる0歳教育』『あなたの脳が9割変わる!超「朝活」法』など著書多数。

 自分の周りの世界の情報をとらえ、それによって自分の体の内部の状態を感じること……これを「感覚」と言います。

 感覚には、いわゆる「五感」(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)の他に、それを感じる5種類の感覚器(目・耳・鼻・舌・皮膚)があるとされていますが、じつはもっとたくさんの感覚があり、それぞれが感覚器を持っています。

 たとえば、温度を感じる感覚がその一つで、「温覚」と「冷覚」があります。

 痛みも感覚です。皮膚を切った瞬間に感じる鋭い痛みや、鈍くてズキズキと長く感じる痛みもあります。

 また、体のバランスを取るために働いている平衡感覚、さらには“感じない”感覚として、筋肉の縮み状態を脳に伝える働きをする「筋感覚」というものもあります。

 このような感覚はすべて、外の世界からの刺激をそれぞれの感覚器が受け取り、それが神経情報に変えられて脳へ送られ、さらに大脳の特定の場所(感覚野)がそれを受け取って初めて感覚となります。

久保田カヨ子
(Kayoko Kubota)
1932年、大阪生まれ。
脳科学の権威である京都大学名誉教授・久保田競氏の妻で2人の息子の母。約30年前に、日本における伝統的な母子相伝の育児法を見直しながら、自身がアメリカ在住時と日本で実践してきた出産・育児経験をもとに、夫・競氏の脳科学理論に裏づけされた、“0歳から働きかける“久保田式育児法〈クボタメソッド〉を確立。この20年で3000人以上の赤ちゃんの脳を活性化させてきた。テレビなどで「脳科学おばあちゃん」として有名。2008年、株式会社『脳研工房』を立ち上げ、現在代表取締役。著書に、累計34万部突破のシリーズ『カヨ子ばあちゃん73の言葉』『カヨ子ばあちゃんの男の子の育て方』『カヨ子ばあちゃんのうちの子さえ賢ければいいんです。』『赤ちゃん教育──頭のいい子は歩くまでに決まる』『カヨ子ばあちゃんの子育て日めくり』(以上、ダイヤモンド社)などベストセラー多数。ズバッとした物言いのなかに、温かく頼りがいのあるアドバイスが好評。全国からの講演依頼もあとをたたない。
【株式会社脳研工房HP】 http://www.umanma.
co.jp/

「感覚をみがく」ということは、「感覚を敏感にする」ということです。

 幼児には、なるべく多くの感覚体験をさせましょう。

 いろいろなものを見て、聞いて、さわって、味わって、嗅(か)いで、外の世界のイメージに対する感覚をみがくことが大切です。

 このとき、経験する分には多いほうがいいからと、無原則に経験させては、幼児の頭の中で混乱が起きてしまいます。

しゃべらせたり、描かせることが
なぜ大切なのか?

 たとえば色を覚えていく場合、まず覚えるのは赤・青・緑で、その次が12色、その次が微妙な中間色と、経験が増えるにつれて覚える色の数を増やします。

 初めは大まかな色の違いを感じ取り、微細な差を読み取っていくようになるからです。どの経験の感覚も同じ原則で、単純なものから複雑なものへと増やしていきます。

 感覚刺激の中でも、痛み刺激は特別に意味があります。
 痛みは普通、なにもなければ感じないもので、痛みの神経が刺激されると痛みが発生します。

 たとえば、ケガをして皮膚が切れると痛みます。この痛みは警告信号となり、身をひくことやケガの処置をする際の目安になります。

感覚をみがいて、いろいろな感覚を通して外の世界を知ると同時に、自身についてのイメージを自分でつくっていくことも大切です。

 自分の体のイメージは、絵に描かせるとどの程度のイメージができているかわかります。

 2歳ごろの幼児は、手や足を区別して名指しができます。
 3~4歳になると、手の一部分(親指、人差し指など)や、顔の一部(鼻・耳・目)、肩、腹などが区別できるようになり、5歳ごろには左右が区別できて、毛・目・耳・あご・指・足先も描けるようになります。
 ただし、これらは個人差があるので、あくまで参考としてください。

 このように、感覚をみがくにも、脳にできたイメージを表現させることが重要で、しゃべらせることや描かせることが大切です。

 ちなみに、“感性”という言葉は、感受性が鋭い、感覚を受容する能力が高いという意味で使われています。