「運命を信じない男」
鴻海・郭会長とは何者か?

「郭台銘は運命を信じていなく、鷹のように世界の至る所に飛び回り、あらゆる可能性の新しいチャンスを求めている。計画時から未来に備えて必要とする挑戦の布陣を行い、強靭な気魄および確執な執行力を通じて、布陣を拡張する。その後、更に大きな布陣を用いて新領域を開拓し、注文を受ける。最後に、その優勢の版図をもって世界のゲームのルールを変える男である」――。

 台湾大学商学研究所の游張松教授は、このように鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘(テリー・ゴウ=Terry Gou)董事長(会長)の人物像を評価している。

鴻海が7000億円を投じてシャープを買う勝算産業革新機構の倍以上の金額を積んでシャープ買収に乗り出した鴻海の郭会長。その意図はどこにあるのだろうか? Photo:Natsuki Sakai/AFLO

 鴻海の郭会長は「現代のチンギス・ハン」と呼ばれている。2016年1月30日にシャープの買収に破格といえる約7000億円を提示。産業革新機構の3000億円を遥かに超える金額が注目のマトになった。2月5日の各新聞はトップニュースでこれを取り上げている。シャープは鴻海に買収されるのか、それとも産業革新機構に渡されるのか、決定は2月29日までに下される。現時点では鴻海の可能性が極めて高い。

 本稿は鴻海とはどのような企業なのか、郭会長の人物像を解明する。そして、この破格な価格での提案にどんな勝算があるのか。シャープの再建で産業革新機構ができなくて、鴻海にできることは何であるのかを論じる。

 鴻海は、よくある台湾の中小・零細企業としてスタートした。郭氏は中国海事専科学校の航運管理科を卒業後、1973年に兵役を終えて(台湾では健康な男子は兵役の義務がある)、台北駅近くの館前路の復興航運公司に勤務し、輸出貨物の船便期日アレンジなどの業務を担当していた。

 業者の船便期日に合わせるような状況に直面し、郭氏は製品の輸出にはビジネスチャンスがあることに気がついた。74年、24歳の郭氏は投資資本額30万台湾元を集めて、「鴻海プラスチック企業有限公司」を設立、プラスチック製品の製造加工を始めた。この30万台湾元は友人との共同出資で、郭氏の出資分の10万台湾元は母親・郭初永真(本籍は山東煙台)が無尽講で入手したものである。

 鴻海はプラスチック製の白黒テレビの選局つまみの製造から始まった。この時期の鴻海は台湾の多くの中小・零細企業と変わりなく、当時の従業員は15人で、月当たりの売上額は約8万台湾元だった。借家の狭い25坪の町工場からの起業である。

 鴻海の設立時は第1次石油危機に遭遇し、原料の価格高騰、世界規模の不況により、資金不足、経験不足のため、大量生産や安定した出荷ができず、経営状況は大変困難で、わずか1年で全ての資金をほとんど使い切った。

 翌年、パートナーが次々とこの事業から撤退したため、郭氏は銀行や義父から70万台湾元を借り、自らこの企業を引き受けて、75年に企業名を「鴻海工業有限公司」と変更した。鴻海の創業期は主として家電のプラスチック部品からスタートし、加えて金型の重視によってこの分野で実力を蓄積するようになったことがわかる。

 事実上、この時期の鴻海は台湾で見られる多くの中小企業と同じようであり、のちに鴻海が世界最大のEMS(電子製造サービス)企業に躍進することなど誰も予想しなかったであろう。