共産党の正統性とナショナリズム

加藤 昨年、南シナ海で米中の緊張関係が表面化し始めた頃、人民解放軍のある軍人と話をする機会がありました。彼は「中国が南シナ海で強く出ざるを得ない国内的理由」として、「経済状況および経済環境の悪化と、国民の不安な心理」を挙げていました。

 中国はいま、経済成長の鈍化や構造改革をめぐる不透明感など、さまざまな国内問題を抱えています。反腐敗闘争によって共産党の威信を回復しようと試み、多くの公費が削減された印象はありますが、昨年頃から、国民たちが「反腐敗で私たちの生活は豊かになったのか?」という疑問を抱き始めているようです。このような状況下で「中国の夢」と言い放ったからには、共産党として対外的に強い姿勢を見せざるをえないのでしょう。その典型の一つが南シナ海なのかもしれません。

 国内情勢が不安定化するなかで、指導部がナショナリズムに依拠し、ときには煽り、外部に対して拡張的・膨張的な動きを見せていく。これは歴史上、多くの大国が歩んだ道です。そして、中国が共産党一党支配による社会主義国家であることも、国際社会において、中国に対する思考回路や行動原理に対する不信感あるいは不透明感につながっている印象があります。

 カギになるのはやはり、中国共産党の正統性という問題ではないでしょうか。ある中国人が言っていました。「独裁体制は非常に疲れるシステムだ。もうダメだと思っても指導者は辞任できない。政権に代わりがいないので瀬戸際で踏ん張るしかない」

 中国の正統性はどこまで維持できるのか。小原さんは、どうお考えですか?

小原 文革や天安門事件などを経験した中国共産党が何よりも重視するのは、「社会の安定」です。鄧小平が偉大な指導者とされているのは、いち早く改革・開放に転じ、イデオロギーではなく、経済成長によって中国共産党の正統性を維持することに努めたからです。それが正しかったことは、ソ連崩壊で証明されたわけですが、そんな中国も天安門事件で揺れました。鄧小平は、中国共産党による一党支配と社会の安定を維持するため、改革・開放を加速し、ナショナリズムに訴えたのです。そして、その後、中国は目覚ましい経済成長を成し遂げます。「発展は揺るがぬ道理」であり、「安定は揺るがぬ任務」であると言われる所以です。

 中国の発展に有利なことであれば、イデオロギー的にクエスチョン・マークが付こうが断固としてやる、という鄧小平のプラグマティズムがうまく働き、中国はここまで来たわけですね。その結果、5億人とも言われる中産階級が生まれ、貧困から脱した人たちが山ほどいます。これは人類史的にも大変な成功を収めたと言えるでしょう。そして、自信も芽生えました。

 このように、これまでは経済成長とナショナリズムが中国共産党の正統性を支えてきました。しかし、爆発的な経済成長は様々な矛盾や不満も生み出しました。ナショナリズムについてはすでに述べた通りです。問題は山積みで、社会は緊張し、中国共産党の正統性そのものが揺らいでいます。特に、貧富の格差と党幹部の腐敗は深刻で、党の危機感は高まっています。

 胡錦濤が最高指導者だった頃、こう言ったことがあります。腐敗を撲滅しなければ国家が潰れてしまう。だが、腐敗を撲滅しようとすれば共産党が潰れてしまう、と。腐敗は党内に蔓延しています。反腐敗闘争は、党内権力闘争の色彩が強いが、それ以上に党自身の生存を賭けた闘いでもあると言えます。

 そして、これらの問題の背後には構造的な歪みや矛盾があり、これまでのような上からの指導や統制だけで解決することは難しいでしょう。そのことに実は皆うすうす気付いています。しかし、誰も自分の身を削るような改革に動く気はないし、指導者も敢えて危険な賭けに出ようとはしない。では、中国共産党にとっての最大の賭けとは何か。それは政治改革であり、加藤さんが著書(『中国民主化研究』)で書いている民主化の問題です。

 鄧小平以来の改革は基本的に経済改革であり、部分的な行政改革を除き、政治的な改革にはほとんど手をつけてきませんでした。その結果、市場経済化は進みましたが、中国共産党が一党支配を揺るがすことはないでしょう。中国はそれを「社会主義市場経済」と名付けました。社会主義、すなわち共産党が「神の見えざる手」として市場に介入する「カモノハシ市場経済」であるとも言えます。

 このチャイナ・モデルは、世界金融危機において機動力と存在感を世界に見せつけました。しかし、このモデルの下では、政治権力を持つ者、あるいは、たとえば国有企業のようにそれとつながる者が圧倒的に有利となり、腐敗を生み出す温床にもなってきました。自由民主主義とマッチした米国型市場経済と比べると、中国の社会主義市場経済は政治と経済の制度的ミスマッチから生起する構造的問題がつきまとうモデルであるとも言えます。

 しかし、「紅二代」の習近平さんのボトムラインは、共産党支配を絶対に揺るがせないことだと思います。そのためには、社会主義という冠は外せない。そこで、社会主義市場経済というチャイナ・モデルは維持しつつ、腐敗分子をどんどん捕まえて共産党を純化することで問題解決につなげようとしています。ただ、そうした対処療法はいずれ行き詰まるでしょう。構造的な腐敗や権力乱用をなくすためには、構造的な改革は避けられません。経済改革に見合った政治改革のマグマは高まるばかりです。

 このマグマとの闘いが、中国の指導者にとって大きなチャレンジになるでしょう。その帰趨が中国の将来を左右することは間違いありません。

 次回更新は3月16日(水)を予定。