稲盛和夫が語った起業の「原点」とは――。京セラとKDDIという2つの世界的大企業を創業し、JAL再建の陣頭指揮を執った「経営の父」稲盛和夫氏。その経営哲学やマネジメント手法は世界中に信奉者を持つ。
『稲盛和夫経営講演選集』(第1~3巻)『稲盛和夫経営講演選集』(第4~6巻)発刊を記念し、1992年に「経営者の心がまえ」について語った貴重な講演を抜粋します。

人々が「決してできるわけがない」
と言ったことをやる

 ワシントン・カーネギー協会という団体がアメリカにあります。これは鉄鋼王で有名なカーネギーのつくった研究機関で、天文物理、地球物理、バイオなどの研究では世界的な研究所を数多くもっています。実はその協会の、外国人では初めての理事を私が務めています。

稲盛和夫(いなもり・かずお) 稲盛和夫(いなもり・かずお) 1932年、鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。59年、京都セラミック株式会社(現京セラ)を設立。社長、会長を経て、97年より名誉会長。84年に第二電電(現KDDI)を設立、会長に就任。2001年より最高顧問。10年に日本航空会長に就任し、代表取締役会長、名誉会長を経て、15年より名誉顧問。1984年に稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった人々を顕彰している。また、若手経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長として、後進の育成に心血を注ぐ。主な著書に『生き方』(サンマーク出版)、『アメーバ経営』(日本経済新聞出版社)、『働き方』(三笠書房)、『燃える闘魂』(毎日新聞社)などがある。
『稲盛和夫オフィシャルサイト』

 そのカーネギー協会の一九九一年の年次報告書の冒頭にある理事長メッセージに、私の言葉が引用されていました。この理事長はマキシン・シンガーという女性の方なのですが、ご本人はすばらしい世界的なバイオの研究者でもあります。その彼女のメッセージの冒頭に次のような私の言葉が引用されています。

「次にやりたいことは、わたしたちには決してできないと人から言われたものだ」
(What we like to do next is what people tell us we can never do.)

 実はこの言葉は、かの有名なピューリッツァー賞の受賞者で、記者であり、作家でもあるデイビッド・ハルバースタム氏が一九九一年に書いた『ネクスト・センチュリー』という題の本から引用されたものなのです。「私はこの本を書くために生きてきた」と著者自らが語った本で、アメリカで発行されて大ベストセラーになり、日本でも翻訳が出て売れていました。

 彼はその中で、わざわざ「京セラ・稲盛和夫」という章をつくり、次の世紀はどうなるかということを述べる中で、私を例に挙げて書いています。

 彼は私と十数年前に出会ってたいへん深い印象を受け、一昨年、京都に来て数日間滞在して、私にインタビューしました。それをまとめたものがこの本の中に載っています。そのときに、私が話した言葉として「次にやりたいことは、わたしたちには決してできないと人から言われたものだ」を取り上げているわけです。

 その本をマキシン・シンガー理事長が読んで感銘を受け、私の言葉を引用されたわけです。私が何を言いたかったのかといいますと、次のようなことです。

「人々が決してできるわけがないと言ったそのことを私はやってきた。先頭集団についていったから、今日の京セラがあり、第二電電があるのだ。専門家ぶった連中から、『それは無謀だ、それはできませんよ』と言われ、その常識を守っているようなことであったら、今日のようにはなれていないのです」

 ぜひ皆さん、この言葉を覚えておいていただきたいと思います。人が常識から「決してできない、あんなことがやれるわけがない」と言うこと、そのことをやるのです。それをすさまじい根性とすさまじい闘魂で成し遂げるのです。経営者にはそういう闘魂が絶対に要るのです。