日本における洋式塗料の歴史は、1881年(明治14年)に創業した光明社(日本ペイントHDの源流となった協同組合)の歩みと重なる。現在、本社の1階には、塗料の歴史を物語る貴重な資料を集めた「歴史館」がある。創業年に海軍のために製作された“日本最古の色見本”(サンプル)は、木材でできている Photo by Hitoshi Iketomi

 結果的に、関西ペイントを抜いたと言っても、形式上そうなっただけの話であり、大きな転換期にあるとは考えていません。むしろ、過渡期というほうが正確です。なぜなら、世界の塗料マーケットで覇を競う“ビッグ3”、すなわち米国のPPG、オランダのアクゾ・ノーベル、米国のシャーウィン・ウィリアムズの連結売上高は、日本円で1兆円を超えるからです。彼らは圧倒的に強い存在ですし、私たちが世界4位になったと言っても、まだ差があり過ぎます。

 しかしながら、世界のビッグ3のシェアを全部足しても、約30%ちょっとにしかならないのです。ということは、世界の塗料マーケットは思うほど寡占化が進んでいないことになります。仮に、ビッグ3のシェアが50%を超えるようであれば、太刀打ちできないということになるでしょうが、実際には成長の余地がまだまだ残されているのです。だから、私たちは世界のマーケットで成長するために“世界規模の陣取り合戦”に参加することを決めたのです。

――その前段としての体質改善では、最初の3年間で社員の約10%を削減するなどして販売管理費及び一般管理費などを120億円以上減らしました。かつてベンチマークしていた関西ペイントよりも財務内容が良くなったことで、株式市場から高い評価を得ました。現在は、どのような改革を進めていますか。

 振り返ってみると、前社長で現会長の酒井健二は、09年の就任時より「サバイバル・チャレンジ」と銘打った大規模構造改革を進めました。これは、容赦のないコストダウンにより経営の足腰を立て直し、将来的に世界で戦えるだけの総合塗料メーカーになるための体質改善を図ることに主眼がありました。

 私は当時、日本ビー・ケミカル(自動車用塗料を専門に扱う子会社)の社長として、長年たまり続けてきた販管費などのコレステロール削減などに携わりました。本社からは少し離れたところに居ましたが、“切迫感”は共有していました。今考えてみても、08年のリーマンショックで業績がガタガタになったタイミングで体質改善に踏み切らなければ、生き残れなかったと思います。

 現在も進行中の体質改善では、14年10月の持ち株会社制への移行を経て、15年4月にグループ全体で機能別の4つの事業会社(自動車用塗料、工業用塗料、汎用塗料、表面処理剤)に再編成し、他は特定用途別の専門会社に整理し直しました。ただ機能別に切り分けただけではなく、親会社、子会社、関係会社で中途半端に分かれていた機能を全部まとめて1つの事業会社として動けるように変えました。その狙いは、積年の上下関係をぶち壊すことにあります(笑)。