稲盛和夫が語った起業の「原点」とは――。京セラとKDDIという2つの世界的大企業を創業し、JAL再建の陣頭指揮を執った「経営の父」稲盛和夫氏。その経営哲学やマネジメント手法は世界中に信奉者を持つ。
『稲盛和夫経営講演選集』(第1~3巻)『稲盛和夫経営講演選集』(第4~6巻)発刊を記念し、「京都企業経営者の気質」について語った貴重な講演録を掲載する。

下着メーカー、
ワコール創業のきっかけ

 ワコールの創業者である塚本幸一さんは、第二次世界大戦中、ビルマ(現ミャンマー)でのインパール作戦に従軍され、師団の中で生き残って帰ってきた三名のうちの一人です。日本に帰ってこられた塚本さんは、帰ってきたその日からアクセサリーの行商を始めます。

稲盛和夫(いなもり・かずお) 1932年、鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。59年、京都セラミック株式会社(現京セラ)を設立。社長、会長を経て、97年より名誉会長。84年に第二電電(現KDDI)を設立、会長に就任。2001年より最高顧問。10年に日本航空会長に就任し、代表取締役会長、名誉会長を経て、15年より名誉顧問。1984年に稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった人々を顕彰している。また、若手経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長として、後進の育成に心血を注ぐ。主な著書に『生き方』(サンマーク出版)、『アメーバ経営』(日本経済新聞出版社)、『働き方』(三笠書房)、『燃える闘魂』(毎日新聞社)などがある。
『稲盛和夫オフィシャルサイト』

 そのときに、今のブラジャーの原型を売っている人と出会うわけです。針金を巻いて胸の形にし、表と裏に布を縫いつけただけのものだったそうですが、それを見た塚本さんは興味をもち、その行商人に聞きます。

「なんでこんなのが売れるのか」

「今後は女性の洋風化が始まる。今、アメリカの兵隊がいっぱい来ているが、日本の女性は着物から洋装になっていくだろう。その場合、どうしても胸のふくらみが要る。日本には胸の小さい人が多いので、大きくふくらませる下着が要るんだ」

「よし、オレにも売らせてくれ」

 そうして売り始めたのが最初です。栄養失調でビルマから復員し、帰ってきたその日から行商を始めた。そこで下着を売っている人に出会い、それを売らせてくれと言ったところから、現在のワコールが始まった。そう聞いていますが、下着についても、繊維についても、塚本さんはまったくの素人でした。

 また、ロームという会社が今、たいへん立派な仕事をしています。創業者である佐藤研一郎社長は私より一つ年齢が上で、立命館大学の理工学部を卒業されています。もともと佐藤さんはピアニストになりたかったそうで、大学一年生のときにピアノコンクールに出て準優勝しますが、優勝できなかったことで音楽家の道をあきらめます。その後、彼は在学中に炭素皮膜抵抗器を簡単に安くつくれる方法を考え出して特許を取ります。

 炭素皮膜というのは、簡単に言えば鍋の底にくっつく煤です。その煤を陶磁器の棒につけてつくる簡単な抵抗器が、炭素皮膜抵抗器です。当時、すでに一般化されていて、大手メーカーもみんなつくっていた抵抗器でしたから、炭素皮膜抵抗器を簡単に、安価につくることができる方法を考え出して特許を取ったといっても、そう大したものではありません。

 それでも彼は、立命館大学を出るとどこにも就職をせず、自分の家で内職みたいにして炭素皮膜抵抗器をつくり始めます。経験も何もない、ピアニストの道を歩こうとしていた彼もまた、最初はまったくの素人でした。