稲盛和夫が語った起業の「原点」とは――。京セラとKDDIという2つの世界的大企業を創業し、JAL再建の陣頭指揮を執った「経営の父」稲盛和夫氏。その経営哲学やマネジメント手法は世界中に信奉者を持つ。
『稲盛和夫経営講演選集』(第1~3巻)『稲盛和夫経営講演選集』(第4~6巻)発刊を記念し、「京都企業経営者の気質」について語った貴重な講演録を掲載する。
下着メーカー、
ワコール創業のきっかけ
ワコールの創業者である塚本幸一さんは、第二次世界大戦中、ビルマ(現ミャンマー)でのインパール作戦に従軍され、師団の中で生き残って帰ってきた三名のうちの一人です。日本に帰ってこられた塚本さんは、帰ってきたその日からアクセサリーの行商を始めます。
『稲盛和夫オフィシャルサイト』
そのときに、今のブラジャーの原型を売っている人と出会うわけです。針金を巻いて胸の形にし、表と裏に布を縫いつけただけのものだったそうですが、それを見た塚本さんは興味をもち、その行商人に聞きます。
「なんでこんなのが売れるのか」
「今後は女性の洋風化が始まる。今、アメリカの兵隊がいっぱい来ているが、日本の女性は着物から洋装になっていくだろう。その場合、どうしても胸のふくらみが要る。日本には胸の小さい人が多いので、大きくふくらませる下着が要るんだ」
「よし、オレにも売らせてくれ」
そうして売り始めたのが最初です。栄養失調でビルマから復員し、帰ってきたその日から行商を始めた。そこで下着を売っている人に出会い、それを売らせてくれと言ったところから、現在のワコールが始まった。そう聞いていますが、下着についても、繊維についても、塚本さんはまったくの素人でした。
また、ロームという会社が今、たいへん立派な仕事をしています。創業者である佐藤研一郎社長は私より一つ年齢が上で、立命館大学の理工学部を卒業されています。もともと佐藤さんはピアニストになりたかったそうで、大学一年生のときにピアノコンクールに出て準優勝しますが、優勝できなかったことで音楽家の道をあきらめます。その後、彼は在学中に炭素皮膜抵抗器を簡単に安くつくれる方法を考え出して特許を取ります。
炭素皮膜というのは、簡単に言えば鍋の底にくっつく煤です。その煤を陶磁器の棒につけてつくる簡単な抵抗器が、炭素皮膜抵抗器です。当時、すでに一般化されていて、大手メーカーもみんなつくっていた抵抗器でしたから、炭素皮膜抵抗器を簡単に、安価につくることができる方法を考え出して特許を取ったといっても、そう大したものではありません。
それでも彼は、立命館大学を出るとどこにも就職をせず、自分の家で内職みたいにして炭素皮膜抵抗器をつくり始めます。経験も何もない、ピアニストの道を歩こうとしていた彼もまた、最初はまったくの素人でした。