稲盛和夫が語った起業の「原点」とは――。京セラとKDDIという2つの世界的大企業を創業し、JAL再建の陣頭指揮を執った「経営の父」稲盛和夫氏。その経営哲学やマネジメント手法は世界中に信奉者を持つ。
『稲盛和夫経営講演選集』(第1~3巻)『稲盛和夫経営講演選集』(第4~6巻)発刊を記念し、「研究開発を成功させるためのリーダー」について語った貴重な講演録を掲載する。

「できそうもない難しい受注」に
チャレンジするしかなかった

 今日は、日本で一番すばらしい企業である、トヨタグループ各社のトップの方々が集まる会に、お招きいただきました。まことに恥ずかしい話ですが、そのような皆様に、何をお話しすればよいか、と思い迷いながら、明け方までなんとかまとめてみようとがんばったのですが、あまりまとまらないままに、まいりました。お聞き苦しい点があろうかと思いますが、ご勘弁いただきたく思います。

稲盛和夫(いなもり・かずお) 1932年、鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。59年、京都セラミック株式会社(現京セラ)を設立。社長、会長を経て、97年より名誉会長。84年に第二電電(現KDDI)を設立、会長に就任。2001年より最高顧問。10年に日本航空会長に就任し、代表取締役会長、名誉会長を経て、15年より名誉顧問。1984年に稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった人々を顕彰している。また、若手経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長として、後進の育成に心血を注ぐ。主な著書に『生き方』(サンマーク出版)、『アメーバ経営』(日本経済新聞出版社)、『働き方』(三笠書房)、『燃える闘魂』(毎日新聞社)などがある。
『稲盛和夫オフィシャルサイト』

 今日、私に与えられたテーマは「研究開発と海外活動」です。それについて考えていることを、羅列的に説明し、ご勘弁願いたいと思います。まずは「研究開発」について、私が以前から思っていることをお話しします。

 一九五九年に、京都セラミックという会社をつくったとき、私どもがもっていた技術は非常にレベルの低いものでした。創業当時の技術では、お客様から買っていただけるレベルの製品がなかなかつくれないのが実情でした。また、できたばかりの無名の会社が大企業に営業に行っても、大事な電子部品に用いられる材料であるだけに、なかなか相手にしてもらえませんでした。そのため必然的に、他社が「つくれない」「難しい」と言って避けて通っている注文に対し、「できます」と見えを切って、注文をもらわなければならないのが、実際のところでした。

 こうした事情から、私どもの事業は、自分たちにできそうにもないような難しい受注にチャレンジしていくことの連続であったわけです。そのようにして、今日のような新しいことへの挑戦を重んずる企業風土がつくられていったのだと思います。

 私は化学出身の技術屋です。ずっと研究をしてきましたが、研究といっても、いろいろな形態のものがあろうかと思います。最初に取り組んだのは、外国の企業や先輩の研究者がすでに取り組み、ある種の「ガイド」があるテーマを追いかけるという研究です。または学術的に発表されて、理論化はされているものの、まだ製品化されていないテーマを追いかける研究です。