稲盛和夫が語った起業の「原点」とは――。京セラとKDDIという2つの世界的大企業を創業し、JAL再建の陣頭指揮を執った「経営の父」稲盛和夫氏。その経営哲学やマネジメント手法は世界中に信奉者を持つ。
『稲盛和夫経営講演選集』(第1~3巻)『稲盛和夫経営講演選集』(第4~6巻)発刊を記念し、「研究開発を成功させるためのリーダー」について語った貴重な講演録を掲載する。
「できそうもない難しい受注」に
チャレンジするしかなかった
今日は、日本で一番すばらしい企業である、トヨタグループ各社のトップの方々が集まる会に、お招きいただきました。まことに恥ずかしい話ですが、そのような皆様に、何をお話しすればよいか、と思い迷いながら、明け方までなんとかまとめてみようとがんばったのですが、あまりまとまらないままに、まいりました。お聞き苦しい点があろうかと思いますが、ご勘弁いただきたく思います。
『稲盛和夫オフィシャルサイト』
今日、私に与えられたテーマは「研究開発と海外活動」です。それについて考えていることを、羅列的に説明し、ご勘弁願いたいと思います。まずは「研究開発」について、私が以前から思っていることをお話しします。
一九五九年に、京都セラミックという会社をつくったとき、私どもがもっていた技術は非常にレベルの低いものでした。創業当時の技術では、お客様から買っていただけるレベルの製品がなかなかつくれないのが実情でした。また、できたばかりの無名の会社が大企業に営業に行っても、大事な電子部品に用いられる材料であるだけに、なかなか相手にしてもらえませんでした。そのため必然的に、他社が「つくれない」「難しい」と言って避けて通っている注文に対し、「できます」と見えを切って、注文をもらわなければならないのが、実際のところでした。
こうした事情から、私どもの事業は、自分たちにできそうにもないような難しい受注にチャレンジしていくことの連続であったわけです。そのようにして、今日のような新しいことへの挑戦を重んずる企業風土がつくられていったのだと思います。
私は化学出身の技術屋です。ずっと研究をしてきましたが、研究といっても、いろいろな形態のものがあろうかと思います。最初に取り組んだのは、外国の企業や先輩の研究者がすでに取り組み、ある種の「ガイド」があるテーマを追いかけるという研究です。または学術的に発表されて、理論化はされているものの、まだ製品化されていないテーマを追いかける研究です。