こいつらだけをおいていけない

【藤沢】「遺伝子にスイッチが入った」きっかけは何だったんでしょうか?

【岡田】最終的に完全にスイッチが入ったのはジョホールバルの試合前なんだけど、ウズベキスタン戦の後もきっかけの一つだった。ウズベキスタン戦は残念ながら1-1の引き分けになってしまった。

あれだけ攻めて、攻めて、ゴールがオフサイドで取り消されたりしているのに、後半ロスタイム、意外なことが起きた。最後の最後にディフェンダーの秋田(豊)を前線にあげて、センターバックの井原がロングボールを放り込んだ。呂比須(ワーグナー)が頭で合わせると、ウズベキスタンのキーパーは秋田とカズ(三浦知良)に気をとられて、ボールがとんとんとんとゴールに吸い込まれていったんだ。

俺は「え、こんなので入るんか?しかもロスタイムに…?」と思って、記者会見で、「これはひょっとしたらひょっとしますよ」と言った。本気でそう思った。

【藤沢】直感的に?

【岡田】そうなんだ。選手たちにもそう言おうと思ってロッカールームに向かったら、みんなわんわん泣いている。引き分けだったのが悔しくて、ふだんはクールな奴らが号泣しているんだ。

「そうか、こいつらも苦しいんだ。俺やスタッフだけじゃない。こいつらもワールドカップに行きたくて仕方なくて、苦しみもがいているんだ」。そう分かったときに、「俺がやろう」と思ったわけ。だからみんなに、「お前ら、なに泣いているんだ!行けるかもしれないぞ、ひょっとしたらひょっとするぞ」って言ったんだ。

【藤沢】そんなことがあったんですね…。

【岡田】それで帰国してから、加茂さんに「最後まで責任持ちます」と正式にお伝えしたってわけ。

【藤沢】それが、ワールドカップ出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」につながったんですね。

【岡田】でもさ、一方で思うのは、それじゃだめだなってことなんだよ。俺が堀江(忠男)先生に追いつけないのはそこだよ。

▼参考▼
「経営者・岡田武史」はいかにして生まれたか?
―岡田武史×藤沢久美 対談(2)
https://diamond.jp/articles/-/93323

当時の俺が思っていたのは、「自分の選手、スタッフ、その家族を喜ばせてやりたい」ってことだけ。その想いだけでやっていた。正直、日本のサポーターを喜ばせたいとも思えなかった。それが俺の器だったんだよ。
俺がもう少し高い山に登れていたら、堀江先生のように、人類愛のためにサッカーをやっていたら、もっと勝っていたかもしれないと思うよ。

【藤沢】それで今、FC今治で経営者をされていて、さらに高いレベルを目指されているというわけですね。だったら、いままた日本代表監督をやられたら…。

【岡田】ちょっと冗談言わないで!俺、今年で60歳。赤いちゃんちゃんこなんだよ(笑)。