構造改革を経て多くの日本企業が過去最高益を記録している。とはいえ、未来に目を向ければ「持続的成長の実現」は依然として大きな課題だ。そして、持続的成長を可能にする鍵は、時代を先取りして自らが変革し続けることができるかどうか、すなわち組織の「自己変革力」である。
『自己変革の経営戦略 成長を持続させる3つの連鎖』(小社刊)を7月16日に上梓した、デロイト トーマツ コンサルティング パートナーの松江英夫氏が、経営の最前線で果敢に挑み続ける経営トップとの対談を通じ、持続的成長に向けて日本企業に求められる経営アジェンダと変革の秘訣を解き明かす。
新著にも含まれる10人目の対談相手は、サッカー元日本代表監督/FC今治オーナー・岡田武史氏。今回は岡田氏にこれまでの豊富な経験のなかから感じた、目指すべき理想の組織のあり方について伺っていく。

選手同士で折り合いをつけていく、
「生物的組織」が理想形

松江 今回のテーマ「持続的成長への挑戦」とは、いかに勝ち続けていくか、ということでもあります。岡田さんから見た「勝ち続ける」組織について伺えますか?

岡田武史(おかだ・たけし)
サッカー元日本代表監督、FC今治オーナー。早稲田大学政治経済学部卒業。古河電気工業株式会社に入社し、同社サッカー部に所属し、日本サッカーリーグ(JSL)に189試合出場。1980年~85年に日本代表選手。引退後クラブチームコーチを務め、1997年に日本代表監督就任。史上初のW杯出場を実現。その後Jリーグでのクラブチーム監督を経て、2007年から再び日本代表監督に復帰。2010年のW杯南アフリカ大会でベスト16に導く。2014年からはFC今治オーナーに就任。

岡田 まず、当たり前ですが、ずっと勝ち続けることはないんです、絶対に。ただ、波がありながらも常にハイレベルをキープしていく、そういうチームはもちろんあります。「勝ち続ける」というのはおそらくそういうことだと思います。個人で言えばどんなに強い選手だとしても、それを超える選手が後からどんどん出てきます。栄枯盛衰です。組織でもやはり同じことは起こる。ただ、その落ちるときが来た際にできるだけ「落ち」を少なくしていく手を打つかが、勝ち続ける組織にとって必要なことだと思います。

松江 組織自体をハイレベルにキープしていくことは、やはり難しいことですよね。

岡田 私は「進歩しなくてもいい。進化しなくてもいい。でも、変化しなきゃいけない。変化しないと、どんどんだめになっていく」とよく言います。

 サッカーチームでも、選手や監督が優秀でも、長くひとつのチームでやっているのは無理なんですよ。監督が出ていくか、選手が出ていくかなんです。10年、20年やる監督は、だいたいビッククラブで、その中心の選手を5年ぐらいしたら、スーパースターみたいな選手でもボーンと切るんです。戦力的には落ちるかもしれないけど、そうやって変化させていかないと、それをやらないと持たないんです。一番いいのは、戦術内容とかそういうのも変化させればいいんだけど、これはそう簡単ではありません。同じメンバーで、同じように「こうやるぞ、こうやるんだ」って信じ込ませてやってたのに、「今年はこうやる」と言ったって、これはなかなか難しい。すると、選手が替わるか監督が替わるかしていかないと、持たない。そういうのはあると思います。

松江 岡田さんにとって「勝ち続ける組織」とはどんな組織でしょうか。

岡田 私が一番強い組織だと思っているのは、「生物的組織」です。

松江 「生物的組織」とはどういった組織でしょうか?

岡田 生物的組織については、『生物と無生物のあいだ』という本を書かれた生物学者の福岡伸一さんから教わったのですが、彼に言われたのが「岡田さんね。岡田さんの今日の体と明日の体は、中身は変わっているんですよ。古い細胞が死んで新しい細胞が入ってきて、それでも見た目の岡田さんは一緒のものをつくっているんです」という話です。そこまではなんとなく誰だってわかりますよね。ところが、古い細胞が死んでいって、新しい細胞が入ってきたときに、脳が「お前はここでこういう役割をしろ」と命令していないそうです。「脳が命令してなくてどうやってなっているの?」と伺ったら、隣の細胞と、何かを発しているらしいんですけど、折り合いをなして、まったく一緒の形をつくっているんですって。

 脳を監督としてたとえると、脳がなかったら死んじゃいますよね。だから監督はいなきゃいけない。でも、選手同士が折り合いをなしていく。いちいち「こういう場合はこうしろ。こういう場合はこうしろ」って命令しなくても、選手同士で折り合いをなしていく組織。そういう組織が一番強いんじゃないかと、その話を聞いて思うようになりました。

松江 「生物的組織」といった組織づくりを意識したきっかけについて教えてくださいませんか。

岡田 生物的組織の必要性に私が気づいたのは2010年のワールドカップ行く2年ぐらい前です。それまで私は指導者として結果はずっと出してきた、と思っていて、勝たせることには、ある意味自信がありました。どういうことかというと、論理的に選手を納得させて勝たせているからです。

 たとえば、今のサッカーでゴールが決まるのは、だいたいセットプレーが35%、どうしようもないアクシデントが10%ぐらい。そうすると残りが55%なのですが、パスをつないで、相手を崩して得点するパターンは10%ちょっとです。残りはカウンターアタックなんです。それをディフェンス側の立場で考えてみると、カウンターアタックを防いだら失点が減るでしょう。実際に試合中に実践すると、失点がガタ減りになるので、それで「おお!本当だ。監督の言うとおりやったら本当に失点が減る」と、みんなに感心してもらえます。

 それで同じように攻撃でも、真ん中だとカウンターを受けやすいので外から攻めろと、セオリーを教えていくわけです。実際に試合中も真ん中でボールを受けた選手にベンチからは「外へ出せ」と指示を出す。そうすると選手は「ちっ、しょうがねえ」っていいながらも外に出すんですね。「中に行こうと思ったのにうるさいな」と思いながらも。結果、勝つんですよ。やっぱり確率論の話でセオリーですから。

 でも、そうしているうちに選手がどうなったか。ボールを持った瞬間に真ん中が空いていようがいまいが、ロボットのように外に出す。そんなときに思ったんです。「あれ? 俺は本当に選手を育てているのかな。指導しているのかな。この組織って本物の組織なのか」と。優勝しても優勝しても苦しんでいました。

松江 そうだったのですか。優勝監督として脚光を浴びる裏側では、外からは分からない苦悩があったのですね。

岡田 マリノスで2連覇したときの話ですが、1年目優勝した次の2年目、「もうこういう指導は嫌だな」と思って、「自分たちでやってみろ」と選手に投げてみたんです。そうしたら開幕3連敗してしまった。さすがにまずいと思って、元に戻したらまた勝って、結局優勝した。3年目は、もう絶対戻さないぞ、とやったら、やはり中位ぐらい。それで4年目は結局、家庭の事情もあったのですが、途中で辞めた。あのときにチームがうまくいっていたら、それを理由にも辞めなかったように思いますし、自分の中で逃げたな、という思いはずっとあったんです。

松江 その後は、現場を離れてからも、いろいろと理想の形を模索されたのですね。

岡田 そのときは理想の組織をつくりたいと思いましたが、どうしていいか、わからなかった。それまでやっていた指導は、いま思えば、本当にとんでもなかったかなと思うような結果を優先する指導だったんです。自分の思い描く方法がどうしてもわからない。何か新しいものがあるんじゃないかと思って、辞めてからかなり勉強したんです。ビジネススクールの経営者の勉強会、空手、気功、占星術など、ともかく何か人を動かすことのなかでヒントがないかと勉強したんですけど、わからなかった。「ああ、俺の指導のもう限界なんだな」と、正直そのときは思っていました。

松江 日本代表監督の打診があった話は、そのときの出来事ですか。

岡田 ちょうど苦しんでいるときに、オシムさんが倒れて、協会から呼ばれた。自分の限界もあるし、家内にも「絶対やめてくれ」と言われたから、家を出るときもオファーは断るつもりでした。ただ、話を聞いているうちに、目の前にすごく高い山があるように見えた。山を見ると登らないと、気が済まないタイプなので、結局「やります」と言ってしまった。そうやって引き受けて、苦しんで、苦しんでやっているなかで、ふと気がついたときがあったんです。