シャープの惨状は、歴代社長たちによる人災だ。経営判断のミスを積み重ね、醜い内部抗争を繰り返す一方、経営危機は放置された。この社員と顧客に対する背徳行為が悲劇を招いたのだ。
2014年12月。年の瀬押し迫るころ、代表取締役・財務担当で副社長(当時)の大西徹夫が本社の経理スタッフを伴って、液晶事業の「総本山」亀山工場(三重県亀山市)に乗り込んだ。
「無理せんで」
液晶部門のスタッフは大西の言葉に耳を疑った。折しも、液晶の現場は、年明けの商戦に向けて中国市場での契約獲得に奔走していた真っ最中だ。
さらに、当時、液晶を指揮していたのは同じく代表取締役で専務だった方志教和。年末に持病の腰痛の手術入院を控えていたとはいえ、事業トップの頭を越えて本社の財務担当役員が日常業務に直接介入するのは異例の事態だった。
急な大西の介入を境に、張り詰めていた営業部隊の士気が下がると同時に命令系統が乱れ、業績が急激に崩れ始めた。
なぜ大西は液晶事業の足を引っ張るような愚行に出たのか。背景にはシャープ経営陣の醜悪な権力闘争がある(下図参照)。
11~12年度のシャープの巨額赤字の元凶だった液晶事業は、13年度に415億円の黒字を計上。液晶だけで全社の営業利益の40%を稼ぎ出し、一転して「復活のけん引役」に祭り上げられた。14年4~9月期には中国のスマートフォン向け液晶で前年比5倍の売り上げを突破し、下期も一段と拡大する計画を立てていた。
シャープ復活の先頭に立った液晶事業は「花形部門」の地位を取り戻し、そのトップを務めていた方志には、主力行の一部から「社長にしたらどうか」との意見まで飛び出す。目立ち過ぎた方志を、社長の高橋興三や大西らは苦々しい目で見詰めていた。
そんなとき、事態は急変する。14年10月、台湾のタッチパネルメーカー、勝華科技(ウィンテック)が経営破綻。同社経由でタッチパネルを装着して液晶を出荷していたシャープを直撃した。大口顧客の北京小米科技(シャオミ)向けの供給がストップ。間隙を縫って、ジャパンディスプレイ(JDI)が、タッチパネルを組み込んだ「インセル」型液晶でシャオミの取り込みに攻勢を掛けてきた。
大西ら本社部隊は、この機を逃さず液晶事業に介入。「ウィンテックを経由するシャオミ向け液晶に損失は出るが一過性のもの」と液晶事業部門は説明したが、大西は受け入れず、「無理せんで、無理せんで」と、事業活動の足を引っ張り続けた。